大阪万博の頃(2018,11,27)

 2025年に日本での2回目の万国博覧会が大阪で開催が決定した。1970年も大阪で開かれ55年ぶりの開催となる。前回は高度成長真っただ中、世界第二の経済大国となり、「イケイケどんどん」戦後からの復興を世界に発信する機会となった。
「人類の進歩と調和」をスローガンに人類初の月面着陸で持ち帰った月の石をはじめ各国が進歩した科学技術を競ってパビリオンに展示した。3月15日から9月13日の6ケ月に日本の人口の半分に当たる6500万人が詰めかけた。「こんにちは、こんにちは世界の国から〜」国中がお祭り騒ぎ。万博見物は一種のステイタスだった。

 先ごろNHKBSで山田洋二監督の「家族」を放映していたが、長崎の炭鉱が閉山して北海道の開拓地に新天地を求めて一家が旅をするというストーリー。旅の途中大阪で万博会場に立ち寄るが入場料が惜しいと外から眺め、お母さんが小さい子供に「あれが太陽の塔よ。よく見ておきなさい。人にあったら万博に行ってきたというのですよ」というシーンがある。高度成長の陰で石炭から石油へのエネルギー革命、公害が社会問題になり始めた世相の側面を描いていた。

 今回の大阪万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」と前回とは打って代わって穏やかなスローガンだ。バブル崩壊から続く低成長、世界的に続くテロ、内乱など世相の不安を背景にし、何か未来に明るいものを求めているようだ。そのせいか大阪を中心に関西では2兆円の経済効果を期待して盛り上がっている。

 現在の新聞の退潮傾向と違い、1970年当時は務めていた新聞社も高度成長の波に乗り景気は良かった。まだインターネットは出現しておらず、新聞はマスコミの王者だった。部数が安定しており、広告収入も右肩上がりだった。万博の期間中会場近くにマンションの一室を貸し切り、各部から数人ずつ記者をを派遣して取材にあたらせた。私は北九支社勤務だったが、会期の最後の9月の一週間派遣された。取材といっても大した事ができるわけではなく、お祭り広場で披露される郷土芸能で九州関係が出たときにちょっと書くだけ。マスコミ用のパスで裏口から出入りできるので、パビリオンの長い行列を尻目に各国のパビリオンを自由に見て回った。パビリオンの地下には各国の名物レストランがあり、毎晩、世界の食の旅ができた。仕事を忘れての物見見物の一週間。今では考えられない会社の大判振る舞いだった。
写真は太陽の塔の前で記念写真、中央が筆者

 とは言っても新聞記者なりに観察だけは怠らなかった。印象深かったのは会場ではみんなが急ぎ足。何かに追われているように走る、急ぐ、そして長い行列に耐える。高度成長を支える猛烈サラリマンを象徴しているように感じた。また最終日の閉会式が終わるやいなやパビリオンが次々と取り壊され始めた。「もったいない」と思ったが大量生産大量消費の時代を反映しているように思われた。

 7年後の2025年、どんな万博になるのだろう。期待通り経済効果があるのか。その時は87歳、おそらく国内で2度と万博を見ることはできないだろう。