2003年12月14日から5日間ベトナムのホーチミンを旅した。1960年代から70年代にかけて
ベトナム戦争が記憶される。べトコン、北爆、ベ平連などの文字が新聞に載らぬ日はなかった。
映画で「地獄の黙示録」「7月14日に生まれて」などすさまじい戦争映画が生まれ、米国の若者は
戦争の恐怖から麻薬におぼれ生気を失った。。ベトナムも泥沼化した戦いで国土は荒廃した。

 1975年4月30日、米軍はベトナムから撤退、我々の記憶から薄れていった。しかし、30年経って
ベトナムは見事に甦った。戦争の傷跡を残しながらも豊かな自然を生かし社会主義国のなかで
平和な暮らしをを築いてきた。今度の旅はそんな戦争と平和を訪ねるものだった。
写真は宿泊したホテルから望んだサイゴン川




ツアーのメンバーかつての新聞社の先輩、同僚の夫妻ら6人。S先輩は元サイゴン特派員=左から3人目、
今回新たに加わったM先輩も元サイゴン特派員=左から2人目。両人とも1969〜70年に戦火の下で取材した。
ベトナム戦争の取材経験を通しての話は貴重であり、いかに戦争は残忍で平和が大切か、多くも事を教えられた。
後ろの建物は南ベトナム当時の議会棟。現在はオペラハウスになっている。

交通関係



9月から福岡ーホーチミンへ直行する
ベトナム航空が週3便飛ぶようになった。
行きも帰りも乗客は40人程度でガラガラ。
まだ宣伝不足のようだ。

市内でまず目に付くのは凄まじいばかりのバイクの群れ。人口
700万と言われるが、バスや電車の公共交通がほとんどなく
もっぱらバイクが最大の交通手段。バイクタクシーもある。
二人乗りは当たり前、赤ん坊も一緒に一家4人乗りも。


現地ではベンツの小型バスをレンタルした。
S先輩の知人の紹介で日系企業の若者が
ガイド役を務め、全くの独自ツアー。

ヘルメットなし。女性は帽子に大きなマスク。排気ガスよけ
だと言う。お互いにぶつからないようにしながら、猛スピードで
ぶっ飛ばす。見ているほうがハラハラする。

市内観光


旧大統領官邸 もともとは19世紀植民地時代に、
フランス官僚のために造られた白亜の豪邸。その後
、南ベトナム政府の大統領官邸として使われていた。
現在は内部は公開されている。

旧大統領官邸の屋上から見たホーチミン市内。タマリンドウ
の並木とうっそうと茂った森が広がる。かつての大統領たちは
どういう思いでこの光景を眺めたのだろうか。

前の像はホーチミン。終戦後に建てられたと言う。後方の建物は
人民委員会が入っていたと言うが、現在は不明。

街路樹に飾られたイルミネーション。クリスマス前だった
のでだったので、あちこちで見られたが、平和の象徴だ。

巨大なガシュマロの木がある公園。付近にはカフェテラスの
喫茶店もあり、かつてのフランス統治の名残を残す。

サイゴン大教会 日曜日の夕方に大勢の信者が
集まっていた。ミサに教会内に入りきれない人たちが
前の広場にあふれていた。

市 場
ホーチミン市最大規模の市場。街のほぼ中心にある。20世紀前半にフランスによって造られて以来、ずっと市民の生活を満たしてきた。
巨大な建物の中には、食品、雑貨、家電、化粧品、食器、貴金属、衣料品、食堂など、生活に必要なあらゆるものがそろっている。
歩いてみれば珍しい食品や、おみやげに良さそうなものが見つかる。ホーチミン市民の活気に満ちた生活が実感できる場所だ。
1000ドンが約10円。物価は日本に比べて格段に安い。夜にレストランでベトナム料理を腹いっぱい食べ、飲んでも100000ドン
=約1000円ですむ。貨幣の単位の大きさと日本円の価値との違いに戸惑うことが多かった。


市場の主役は女性たちだ。店番をするのは女性。
日長一日、ゆったりと椅子に座っているが、それで売れるの?

新鮮な野菜も豊富。魚や肉を売る店もある。

クリスマスの飾り付けに使うものらしい。色とりどりの飾りが
広げられている。道いっぱいに

ミト−の市場。巨大な市場だが、集まった人たちも大勢。

道路端に座って何でも売ります。天下の公道は商売の場所。
このおばさんは何処で捕まえてきたのかリスを売っていた。


     メコン川のほとりで           戦争の傷跡を訪ねて     べトナムこぼれ話