昭和55年夏、宮崎総局は県庁近くで夜になるとネズミが床を走りゴキブリが空を飛んだ おまけにクーラーが故障して灼熱の中でねじり鉢巻き腕まくりで記事jを書く |
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昭和56年総局は宮崎観光ホテル近くの松山町に移転新築した。クーラーも完備。 清潔な室内で日中は美女4人に囲まれてデスク業務。天国にに移転したような気分だった |
西日本新聞は平成30年3月31日ををもって宮崎・鹿児島県内の発行を休止、100年近い歴史の幕を下ろした。 「デジタル時代にふさわしいメディア企業への転換を進める」との経営判断だ. 総局を廃止して支局として取材お拠点は残すが、急速に進むデジタル化と新聞離れで部数の少ない両県の事実上の切り捨てだ. 昭和55年から3年間新旧の宮崎総局でデスクとして勤務し定年退職でえびのに移り住んでからも愛読してきただけに、 「我が新聞」が読めなくなるのが断腸の思いだ。電子新聞を購入しているが紙への愛着は断ちがたく味気ない朝を迎えている。 |
総局の周辺
宮観ホテルの裏にある総局。コンクリート3階建て。総局長の住宅付き。廃止後は売却される。 |
周辺は飲食店も多かった。春季キャンプの巨人の選手たちがよく立ち寄った「釜揚げうどん重の井」もすぐ近くにあった。 |
宮崎の歓楽街「ニシタチ」も歩いていける距離にあった。 |
総局最後の平成30年3月31日。宮崎経験者や応援してくださった地元の人たちが 総局でお別れパーティ。複雑な思いを秘めて明るく締めくくろうと笑顔でバイバイ! |