懐かしい母校は今

 飯野小学校   飯野中学校


宮崎県立小林高等高校

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小林高は1921(大正10)年創立された旧制小林中学が前身。48(昭和23)年に小林高等女学校と合併、これまでに2万8千人の卒業生がいる。

 

校章の由来

3本の杉は「小」と「林」を表しすくすくと伸びたいと言う願いがこもる。全体を高千穂の峰になぞらえて、心のよりどころとした。


校旗と日の丸がある正門   

宮崎県立小林高等学校校歌
     作詞 黒木和雄
    作曲 園山民平

霧島の山 麓は広く 豊けきさとに集うもの
溢れる親愛腕をくみて 学びて止まぬ我等が業に
力あれ 力あれ 力あれ

細野が丘にいらかわしるく つきぬ真理を探るもの薫る白萩こころにしめて究めて止まぬ我等が道に
光あれ 光あれ 光あれ

若人の意気望みは高く文化の華をひらくもの
正しき自由を身に培いて進みて止まぬ我等が園に
栄あれ 栄あれ 栄あれ

   昭和30年当時の正門付近

      現在の正門付近


正門を入って左手に「立志鍛錬」の石碑がある。
字は大先輩の元日銀総裁森永貞一郎氏の筆によるものだ。

玄関を入ったすぐ横の廊下には数々のスポーツ大会で獲得した優勝トロフィーや盾が並ぶ。駅伝、バスケットは全国的な強豪である。


かつて家庭科があったあたりの場所に3階建ての校舎がある。中庭に車が一杯駐車しているのも昔は見られなかった光景だ。


正門を入って右手は図書館。その屋上に天体望遠鏡があるドームが銀色に輝いていた。

グラウンドに面した2棟の体育館。奥の丸い屋根は新しい新体育館。

広々としたグラウンド。かつての2倍はある。野球、サッカー、テニスなど同時に出来る広さがある。この日はクラス対抗の球技大会があり、大勢の生徒がグラウンドに出ていた。


正門横の掲示板にあった校舎の配置図。


正門と道路を隔ててたこ焼き屋さんがあった。おそらく腹を減らした生徒達が駆け込むのだろう。