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フォーク少年だった頃

 中学から高校にかけて爆発的なフォークブームがやってきた。ブームと言うよりは、元々アンダーグラウンドな存在だったフォークソングが、メジャーになってきたと言ったほうが良いのかも知れない。とにかく猫も杓子もフォークギターを持って、ジャンジャカかき鳴らしていた。ご多分に漏れず気が付くとギターを持ったフォーク少年になっていた。ただギターは持っていたが、はっきり言って下手な部類だった。どれくらい下手かと言うと、スリーフィンガーを会得するのに1年くらいかかったほどだ。それに幼い頃の怪我の影響で、左手の人差し指が曲がっている。自分ではまともに弾けないが、聴くだけでも楽しかった。

 「この曲でフォークに出会いました」なんてインパクトの強い曲は思い浮かばないのだが、小学生の頃にどこかのドライブインのジュークボックスから流れてきたシューベルツの「風」がなんとなく心に残っている。レコードだのラジオの深夜放送だのと言って友人と情報交換していたのは、中学の頃だったと思う。高校に入って貯金をはたいてギターを買った。たかだか1万円のギターだったが、当時としては清水の舞台から飛び降りるくらいの大きな買い物だったのだ。もう少し頑張って1万3千円も出せばヤマハが買えたのだが、その3千円の壁が限りなく高かった。仲間内ではギターを買ったのは早い方だったので、それぞれが入手するまではギター目当ての友人が良く遊びに来ていたような気がする。

 ポリシーが無いせいもあるのだろうが、アーティストの好みは流行とともに変わっていた。加川良や高田渡あたりのフォークジャンボリー系からいつしか吉田拓郎になりかぐや姫に取って変わった。いわゆる売れているフォークが好きだったのだ。かと言ってそんなにレコードが買えるわけでもないので、誰かが買うとみんなで聴いていた。高校受験の真っ最中でもあったが、深夜放送も良く聴いていた。これから流行りそうな曲を先んじて発見するのは気持ちが良いものだ。

 高校の文化祭ともなるとコピーバンド全盛で、体育館や教室でにわかバンドが入れ替わり立ち替わり歌っていた。高校3年の文化祭では、同じクラスのAが率いるバンドがNSPのコピーで圧倒的な人気だった。彼らが出演する時間になると、体育館は女子生徒で一杯になり、その他の教室での会場は人影もまばらで可哀想なくらいだった。確かに演奏も上手かったが、それ以上にルックスで優っていたように思える。文化祭の前にAに誘われたこともあったが、レベルの違いを理由に断った。ちょっとだけ後悔したが、練習の段階で捨てられるよりは良かったかも知れない。他のバンドの連中からは人気を妬まれていたAのバンドだったが、なんと言っても女子の人気が一番だ。お粗末ながら私も友人Hとともに小さな教室の会場で一曲だけ歌った。かぐや姫の「置手紙」と言う曲だったが、あれはあれで自己満足の世界だったと思う。

 大学に入る頃になると、フォークはニューミュージックと言うジャンルに変わって行った。ユーミン、松山千春あたりだったと思う。相変わらずラジオは聴いていたが、これも民放のFMに変わった。音楽の大きな流れも変わっていたのだが、それを聴いている自分の環境も大きく変わっていたのだ。あの頃のフォークソングを聴くと、ついつい口ずさんでしまう。歌いやすいと言うのは、下手でも歌えると言うことなのだろうか!

 なぎら健壱の書いた「日本フォーク私的大全」と言う本の中に、フォークに関する年表が付けられているが、これに自分の思春期・青年期を重ね合わせて見るのも興味深いものがある。最近ではインターネット上で懐かしい名曲の数々をMP3ファイルで配信するサービスもある。これまでに五つの赤い風船の「遠い世界に」、甲斐バンドの「安奈」、加川良の「教訓1」をダウンロードして聴いているのだが、アナログそのもののサウンドをデジタルな環境で聴くと言うことに時代の変遷を感じる。1曲200円が高いか安いかは個人の思い入れにもよるだろうが、昔エレックやURCレーベルのLPって1枚1700円だったんだよね。 

(00/6/21)