[home] [back]

 

テキ屋さんとの旅

 1978年の夏の終わり、後ろ髪を引かれるような気持ちで落石「ほおずきの宿」を後にしたことは既に「道東の国から」に記している。その後一旦千歳の叔父のところに寄り、札幌から函館本線で帰途についた。札幌駅では、偶然にも「ほおずきの宿」に来ていた大阪の女性2人組と出くわし、発車の時間までビール園に行こうと言うことになった。札幌在住の北大生も誘って、本場のジンギスカンと生ビールを満喫したものだ。

 函館に到着した頃には既に暗くなっており、連絡船との乗り継ぎ時間に余裕が無くて、とうとう行きも帰りも函館は通過するのみとなった。ただ連絡船から見る函館の夜景は素晴らしくきれいで、それが少しずつ遠ざかっていくのを眺めながら北海道から離れることを実感していた。

 青森駅からは夜行の急行「八甲田」で上野に向かう。乗り継ぎ時間に余裕があり列車の入線前から待っていたので、窓際の良い座席に付くことができた。これで女性3人組の旅行者でも残りの座席に座ってくれれば言うことなしと言うところであったのだが、代わりに発車時間が迫った頃ごっつい感じの男性3人組が乗り込んできた。見るからにその筋の皆さんのようである。どこまで乗って行くのかはわからないが、夜行列車であるからには少なくとも夜が明けるまでは付き合わなければならない。他の座席も埋まっていたので、今更移動するわけにもいかず、それよりも彼らが座ったからと言って逃げ出す勇気もなかった。そうこうするうちに「八甲田」は青森駅を発車したが、彼らの会話を聞いていると時折「兄貴!」とか言っているのが聞こえた。

 バリバリのやくざかも知れなかったが、ここはあえて旅から旅のテキ屋さんだと思うことにした。どちらにしたところで恐いことに変わりはないが、縁日でヒヨコを売っていたりする方がまだ気楽な感じがする。「そそう」をするわけにはいかないので、緊張の余りなかなか眠れなかった。兄貴の肩にもたれ掛かったりしたらと考えただけで眠れなくなるのだ。

 緊張と恐怖の長い一夜が明けると、列車は仙台付近だったと思う。状況はまったく変わっていなかったが、あまりの姿勢の良さに足腰にしびれがきていた。彼らは郡山辺りで駅弁を買ったのだが、兄貴が「兄ちゃん食べろ」と言って駅弁の一つを差し出してきたのだ。礼を言って受け取り恐る恐る金を出そうとすると、ドスの効いた声で「黙って食え」と言われた。この時は本当にびびってしまい、食べることは食べたが、味がしなかったような気がする。上野に近づくにつれて乗客も減ってきたので、大宮辺りで席を変えたが、緊張から解放されると途端に睡魔が襲ってきた。

 人を見た目で判断するのは良くないことだが、現場がそういう状況では仕方ないことだったと思う。勝手に恐がっていただけで、脅されたと言うわけでもなく、もしかしたら普通のサラリーマンだったのかも知れない。でも普通のサラリーマンは「兄貴!」とかは言わないだろう。上野駅に降りると、東京の残暑が身にしみた。 

(00/9/30)