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マックとの出会い

 マックを使い初めて6年目の夏が終わろうとしている。初めて買ったマックが届いたのが94年の8月6日のことだ。一体型のLC575だったので、面倒なケーブルの接続もなく設定も無きに等しかったので、箱から出してすぐに使えるような状態だった。ソフトは別売りだったので、同時に購入したクラリスワークスとキッドピクスを使うだけだったのだが、物珍しさもあって夢中になったものだ。

 もともと仕事でワープロを使うことが多く、ある程度の機能は活かせるようになっていたが、だんだんワープロの限界を感じるようになっていたのが94年の春のことだった。「これからはパソコンだよな!」と思いつつも、コンピュータの知識など皆無に等しく、遥か昔の学生の頃にフォートランの授業で分厚いパンチカードの束で2次方程式を作ったのが関の山だった。まずはパソコンについての知識を得ることから始まったのだが、初心者向けの解説書を読んでいると「ウインドウズ」と「マック」と言うものがあることがおぼろげながらわかってきた。言うまでもなくどちらかを選ばないといけないのだ。

 雑誌を読むことも多かったが、幸いにも身近にマックユーザーがいたのでどちらが良いのか聞いてみたりもした。シェアや値段を考えれば圧倒的に「ウインドウズ」優勢なのだが、なんとなくそれだけではすっきりしないものがある。そうこうするうちに雑誌の記事の中に「マックは遊び人が使う!」と一文を見つけた。目から鱗が落ちるとは、まさにこのことを言うのだと思う。自分を遊び人とは思わないが、せっかくの自前のパソコンを選ぶのだったら遊び心は不可欠である。こうやってマックを買うことに決めた。

 一口にマックと言っても、それなりに機種のバリエーションはあるのだから、マック選択以降は、機種選択に精を出さなければならなかった。本体を持っているわけでもないのに、マック関係の雑誌はそれこそ舐めるように読み漁ったものである。そんな準備期間が約3カ月、ようやくLC575に決めて通販で発注したのだが、さすがに現物が到着するまでは心配が絶えなかった。

 マックと向き合うようになってからは、パソコン通信にのめり込んだ。まだまだ根暗と思われていたパソ通ではあったが、情報や知識を得る手段としては最善であったと思う。至るところに通信仲間ができ、知りたい情報をほぼリアルタイムで手に入れることができるのだ。インターネットが日常的になった現在でも、ささやかながらパソ通は続けている。パソコン人生の基本中の基本だからだ。

 使い始めた頃は、トラブルとの格闘がマックを深く知る上で一番役に立ったと思う。フリーズはもちろんのこと、サッドマックを経験したこともある。噂では聞いていたものの、身近にサッドマックを見ようなどとは思いもよらなかったので、この時ばかりは再起をあきらめたほどだ。3日ほどかかってなんとか復旧できたが、おかげで大きなトラブルに対する免疫が出来たように思える。最近はOSもそれなりに丈夫になって、荒っぽい使い方をしなければフリーズすることも少なくなった。逆にトラブルに対して無力になりつつある。と言うか気力が衰えてきたようだ。

 6年の間にデスクトップは買い換え、パワーブックも手に入れた。新しい周辺機器とは、USBとかの接続の問題もあることはあるけれど、遅くて困ると言うほどでもない。まあしばらくはG3やG4には目もくれずこのまま使おうと思っていたところであったが、買い換えたデジカメがUSB接続しか無いのに気が付いた。そのままではデータの取り込みが出来ないので、FireWireとUSBポートの付いた拡張ボードを買う羽目になった。本体の買い換えもそんなに遠くないかも知れない、そんな不気味な予感がよぎっていった2000年の夏の終わりだった。 

(00/10/1)