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愉快なロンドン

 タッドレイコートとバーンホールでの2週間の研修を終えて、首都ロンドンに入ったのは92年の9月の終わりのことだった。不安だった研修のスケジュールをどうにかこなしての開放感もあって、皆一様に明るい表情を取り戻していた。ロンドンでのホテルは、バッキンガム宮殿のすぐ近くでヴィクトリア駅にも歩いていける距離のところで、滞在中は宮殿周辺を良く散策したものだ。残念ながら宮殿の建物はちょうど改装工事が行われており、工事用のシートに囲まれてその威容を目にすることは出来なかった。

 最初の夜は日本食レストランに連れていってもらったのだが、メニューのどれを見てもバカみたいに高いのである。と言うのも滞在中に英ポンドが円に対して半値近く安くなったせいもあるのだが、それを差し引いても高かった。寿司や刺身なんかは5千円を下らない値段だ。久しぶりの日本食なので郷愁や期待でワクワクしていたのだが、メニューを眺めているうちにだんだん腹が立ってきた。結局一番安い天麩羅ソバにしたのだが、それでも日本では考えられない値段だった。冷静に考えれば、遠く離れたロンドンで日本の食文化を維持するのも大変なことなのだろうと思う。隣に座っていた京都のN氏が握り寿司をお裾分けしてくれたのだが、胸の思いとは裏腹に涙が出るほど旨かった。

 食事をした繁華街からホテルまでは歩けない距離ではなかったので、数人の仲間とほろ酔い気分で散歩がてら歩いて帰ることにした。さすがに宮殿の近くになると警備兵があちこちに立っている。研修期間中に訪れたウィンザー城では、入ってはいけない白線内に誤って入った仲間の1人が衛兵から靴を鳴らされ大声で怒鳴られたことがあったのだが、その夜はバッキンガムの警備兵が背中を向けている時に、仲間の1人が酔いも手伝ってか遊び心で思いきり靴を鳴らしたものだ。すると警備兵が振り向きざまに自動小銃を我々に向けたのである。向こうも靴の音に驚いての反応だったと思うが、それ以上に我々も驚いて瞬間的に「フリーズ」していた。本物の銃を向けられたのは、後にも先にもこの時だけである。靴を鳴らした本人はもちろんのこと、全員が急激に酔いも覚めて、静かに静かに帰り道を急いだのは言うまでもないことである。

 ロンドンには2泊したのだが、到着の翌日は本格的な市内観光に充てた。2、3人づつ気のあった者同士で行動したのだが、まずは観光名所の一つであるロンドン塔を訪れた。どんよりとした曇り空が多いと聞いていたものの、この日は珍しく快晴で気持ちがよい。ロンドン塔はその全体が博物館の様相で、中世イギリスの雰囲気を色濃く醸し出している。特にヨーメン(ビーフィーター)と呼ばれる名物の守衛さんが着ている装束がいかにも時代を感じさせてくれるが、横に立って写真を撮ろうとしてもほとんど笑ってくれることはなかった。タワーブリッジなどをバックに記念撮影を済ませてから、有名な大英博物館を訪れた。貴重な収集物が多数展示されているにもかかわらず、入場は無料だ。文化に対する国民性の違いなのだろうか。まともに見て廻っていたのでは時間がいくらあっても足りないので、有名なものを選ぶことにした。ロゼッタストーンやエジプトのミイラなんかがそれにあたる。博物館としてのスケールの大きさに圧倒されたと言うのが正直な感想である。

 まだ買い物らしい買い物もしていなかったので、ピカデリー周辺の高級店が並ぶ通りを歩いてみたが、なんとなく時間だけを無駄に使うような気がしてヨーロッパ最大のデパート「ハロッズ」に移動した。さすがに最大と銘打つだけあってやたらと広い。フロアの端から端まで歩くだけで疲れてしまう。まだ10月にもなっていないのに、フロアの一角にはクリスマス商品がたくさん並べられていた。子供のために2階建てバスのミニカーや「ウォーりーを探せ」の本、セントアンドリュースのゴルフグッズなどをちまちまと買ってホテルに戻った。

 一日中歩き回って疲れていたので、夕食はホテルの部屋でコンビニのサンドイッチやワインで済ませることになったのだが、みんなでワイワイ言いながら飲んでいるうちに、公衆電話に貼ってあった風俗店に電話してみようと言うことになった。アルコールの力に後押しされて、まず「ハウマッチ?」と聞いてみると相手のおばちゃんが○○ポンドと答える。今となっては詳しい内容は忘れてしまったが、それからのやり取りで立派に「値切る」ことができた。まさに冷やかしだけだったのだが、後わずかで帰国できる喜びと次の日にはイギリスを離れると言うセンチメンタルな気持ちが入り乱れて、みんなハイになっていたのだろうと思う。

 ロンドンでの最終日、ヒースロー空港から英国航空で最後の経由地パリに向かったのだが、2週間以上に渡ってすっかりお世話になったWTi(Water Training international)のR氏ともここでお別れである。幼児並の英語力しかない我々に、懲りもせずにいつも笑顔で接してくれたやさしい人であった。出国カウンターの手前で、待ち時間にみんなで選んだネクタイを手渡すと、今度は本当に涙が出てきた。もう少し積極的に学んだり経験すれば良かったと、心残りもないわけではなかったが、不安だらけで乗り込んだ割には良く頑張った方だと思う。ヒースローを飛び立ったBA機は、ドーバーを越えて一路パリに向かった。

(00/12/1)