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地獄のアルバイト

 学生の頃は、主に仕送りと奨学金で生活をしていた。田舎なので物価も安く、遊ぶところもそんなになかったので、日常生活だけならわずかな金額で生活が出来たものである。アルバイトをすることもあったが、旅行費用や小遣い程度では手に負えないものを買うために、不定期にやることが多かった。北海道に行く費用を捻出するために、スナックでバーテンをやったこともあったが、店の人や客との人間関係が結構ドロドロしていて楽しいものではなかった。慣れない仕事で失敗も多かったが、金のためと割り切って夏休み前の三ヶ月ほどを費やした記憶がある。

 大学3年の秋のことだったと思うが、友人が数人遊びに来た。月の始めでもあったので、まだ所持金に余裕があったせいか、止せばいいのに大盤振舞をやってしまった。もともと金離れは良い方なのだ。そんなわけで友人たちが帰る頃にはすっかりオケラになっていたが、生活の不安とは裏腹に最高の笑顔で見送った。親に泣きつけば済むことだったのかも知れないが、なんとなくそれには抵抗があってしばらくの間アルバイトをして生活費を稼ぐことにした。

 最初は自動車会社の顧客名簿を作るアルバイトを一週間ほどやってみた。仕事は楽だったが、楽な分だけ稼ぎは少ない。とりあえず当座の生活費を確保した後、締めくくりとして当時としては結構賃金の高い荷担ぎのアルバイトに行くことにした。線路沿いの倉庫に、貨車から葉タバコの袋を積み出す完璧な肉体労働であった。葉タバコの袋は軽いもので40キロ、重いものでは50キロを超している。それを一つ一つ肩に担いで繰り返し繰り返し運ぶのだが、想像以上にハードなものであった。少しでもふらつくようだと容赦なく尻を蹴られて怒鳴られた。既に午前中にはここに来たことを後悔したが、他にも数人アルバイトが居たこともあり何とか午後も頑張って、やっとのことでアルバイト料をもらうことができた。

 もう二度と行くものかと思いつつ、その日は下宿に帰った途端死んだように眠った。翌朝目が覚めると全身の筋肉と関節に痛みを感じる。少しでも身体を動かすと痛みが全身を駆けめぐり、おまけに熱まであるようだ。こんな状態が延々3日くらい続いた。どうせ学校は一週間以上行ってないし、何より生活や身体の方が大切なのだ。じっとしているとお金も使わないので、3日寝込んで生活費が浮いたのは喜ぶべきことだったんだと思う。

 

(00/5/25)