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妻線の話

 幼い頃、父親の仕事の関係で西都市の杉安と言うところに住んでいたことがある。ちょうど3歳違いの妹が生まれる前後のことで、日向や国富の祖父のところに預けられることが多かった。当時は国鉄の妻線を利用して移動することがほとんどで、迎えに来た祖父と一緒に杉安駅から乗りこみ、日向に行く場合は日豊本線の佐土原駅で乗り換えなければならなかった。

 当時の国鉄のダイヤがどうだったのか知る由もないが、どちらにしろ本数は少なかったと思う。そんな少ない列車の中から、どうしても急行列車じゃないと乗らなかったらしい。なぜなら急行列車には車内販売があったからである。3歳程度でどのように判断したのかはわからないが、わざわざ急行列車に乗るために駄々をこねて祖父を困らせたらしい。自分の子供には厳しかった祖父は、困惑しながらも我侭な孫のためにホームで長い時間待っていたのだと言う。

 情けないことに自分自身には記憶のかけらさえ残っていないが、むしろそんな風に時間を共有することも、祖父にとっては一つの楽しみだったのかも知れないと思うことがある。そんな祖父が逝って四半世紀が過ぎた。

 

(00/5/29)