評論の広場11


MIIのIdentity

内田 勝


 医用画像情報(MII)学会(Medical Imaging and  Information Sciences)の定義・在り方・存在意義などについて同様の学会名が氾濫する現在、本学会のIdentity・特徴について明らかにすることは重要であると認識します。
 この問題を正面から取り上げた論説は余り見当たりません。そこで最近の論説の中から二つ程取り上げ、参考としました。また、時を同じくして公表された日本放射線技術学会雑誌の将来構想委員会の答申についても意見を述べました。
 取り上げた二つの論説は“画像分科会今昔”と“放射線技術学とは”の2編です。将来構想特別委員会・答申は日本放射線技術学会雑誌1月号を参考にしました。


画像分科会今昔

内田  勝

 今回で画像通信通巻50号になると言う。50回記念だから何か、との分科会会長からの要請です。1977年から画像分科会を立ち上げ、1985年に画像部会に名称変更してから次期会長にバトンタッチしました。それ以来、山下・小寺・藤田・桂川と引き継がれ今や5代目です。世に“創めるは易く、育てるは難し”とあります。ここまで育てて来られた各分科会長に深甚の敬意と感謝を捧げるものです。ここに、画像分科会創立時の様子を振り返り、現在を反省して見たいと思うものです。
 当時技師学校を退任して大学に奉職していた筆者は技師学校に注いだ情熱を日本放射線技術学会にその代替を見いだしていました。学問に関心を持つ電気技術者の集団が電気学会を、応用物理学者の集団が応用物理学会を構成したのと同様に、診療放射線技術者の集団が診療放射線技術学会を創設したのは当然の事です。したがって、筆者が唱えて久しい診療放射線技術学がその中核である事は言うまでもありません。
 さて、この診療放射線技術学とは何か、これは一言で定義出来る事では無く、応用物理学とは何かを一言で定義するようなものです。強いて言うならば、“診療放射線技師が中心になって、医学・技術学・理工学を融合させた学問”とでも言えば幾らか近い様です。決して混合ではなく融合であることが必要です。最近の学会の本誌を見て、自分の無知を棚に上げ、これは医学の問題ではないのかと首を傾ける論文にお目にかかるのは誠に残念でなりません。画像通信の記事にも同様な雰囲気を感じます。
 技師学校は短大になり、今や博士課程まで持つ大学になりました。筆者の主張するパスカル的な技師学校は、デカルト的な大学になったのです。それに伴った身分の向上が図られるならば名実共に昇格です。しかし、果たして診療放射線技術学が出来上がったのでしょうか。そうではなく、モザイク的な学問の混合によって大学令を満たしたに過ぎないと愚考するものです。
 これらを卒業して、学士号・修士号・博士号を受領された人材は如何なる職場で活躍するのでしょうか。最も必要とされている職場は一般病院であることを考えると暗澹たる気持ちにならざるを得ません。何処にいても、診療放射線技術学を一歩でも進める事に生き甲斐を見いだす事の出来る人はいい、しかし殆どは生活に幸せを求めるのが常識的であろうと思われますから。
 今朝フト目覚めると窓外は真っ白な雪、綾に来て約10年、何年か前に一度積もっただけ、このように真っ白な自然の中で無垢な気持ちで考える事の出来る喜びを噛み締めながら画像分科会は第一回に戻ります。
 1977年5月29日16時30分〜18時30分第1回画像分科会が開催されました。50名位の部屋が満員、立っている人が壁を取り巻いています。申し込み160名、予約32名、計192名とのこと。大盛会であった。と筆者の日記に記録されています。
  山下一也:この時点では画像部会と称していました。部会の名称は地方部会と紛らわしいのでその名称の問題点、今後の進め方など。
  筆者の挨拶:画像の意味と演者の紹介。
  山崎 武:視覚の法則。
  津田元久:放射線機器と放射線像。
  佐藤孝志:診療に有効なスペクトル。
  田中俊夫:写真化学、その問題点。
  金森仁志:情報理論適用の問題点。
  内田 勝:線型と非線型の接点。総合的な単一評価。
 持ち時間は少なかったのですが、それだけ各演者の熱意が凄まじく聴衆を圧倒しました。又聴衆も飢えた烏が餌を貪る如く吸収したかに見えました。大拍手を以て終了したのは言うまでもありません。以後、年に2回分科会は開催されていますが、この時ほどの感激と満足感を味わった事はありません。
 最近の画像分科会の状況と比べると明らかですが、現在その程度は格段に高く、テーマも片寄っており、より専門化しています。上述した第1回のテーマのように今でも聞いて見たくなるようなものでもありません。しかしこれがよい方向なのかも知れません。筆者がいつか巻頭言“分化と統合”で述べたように今画像分科会は分化の時代なのかも知れません。未だ未だ続くであろう画像分科会の将来は予測すべくもありませんが、ただ一つ言えることは“画像分科会は日本放射線技術学会の傘下にある。”と言うことです。これを逸脱せざるよう希望して止みません。
 これで拙稿を終わります。現在の画像分科会に満足しておられない方々が万一おられても、是非長い目で見て辛抱強く育てて頂きたいと念ずるや切なるものがあります。 


 以上で画像分科会今昔の記述を終わります。最近日本放射線技術学会誌の巻頭言に編集委員長の“放射線技術学とは”と題する論説が掲載されました。これは筆者の論旨と同様の考え方と思われ意を強くした次第です。そこで本人の了解を得て掲載することにしました。

放射線技術学とは

小寺吉衛 

 編集委員会を担当して今年で7年目になる。その間、多くの方々のご支援をいただいて曲がりなりにも雑誌を発行しているが、まだまだ不充分であることは否めない。特に論文審査にかかわる問題は、学会の根幹にも関係する重要な問題であり、一部は土井邦雄名誉顧問の意見を受けて、編集委員会の考えとしてご披露させていただいたが、多様な学問領域を持つ本学会の編集委員会を担当するものとして、この6年半の間考え続けてきたことを述べたい。
 私は4年半前、診療放射線技師を養成する大学に赴任した。短大の最後の学生を見送り、新たにできた保健学科もこの春には大学院を持つにいたった。私の在籍する専攻は、放射線技術科学と呼ばれている。もちろん、学生も放射線技術学を勉強している。ところが、現在の価値観で考えたとき、放射線技術学は非常に曖昧な学問分野である。たとえば、私の専攻の卒業生が工学の分野で競ったら工学部出身者にはかなわないであろう。同様に医学の領域でも医師にはかなわない。彼等が真の力を発揮できるのは、やはり放射線技術学の世界ということになる。ところが、この放射線技術学とはいったいなんであろうか。名前はあるが実態はまだこの世に存在しないようにも思える。しかし、少なくとも次の意見には多くの方々が同意されるであろう。「放射線技術学を支える学問領域は極めて広い。」私の大学でも工学系出身、医学部(医学科)出身の医師、そして診療放射線技師と多様な分野の教員から成り立っている。とても私のような工学系出身のものが、すべてをカバーできるものではない。このことは、編集委員会でも論文の審査時に痛切に感じたことである。本当の意味で、放射線技術学をすべてカバーできるのは診療放射線技師の方以外にないのではなかろうか。今後はさらに情報学なども必要であり、また、以前からいわれていることであるが、心理学も重要な要素を占めるであろう。まさに学際領域といわれる所以である。
 かって科学を学問する人は哲学者といわれていた。欧米での学位がPh.D(哲学博士)と呼ばれているのもこれが理由であろう。科学は、その哲学が物理学、化学、生物学などに分化したものの総称である。哲学は科学になることによって、より専門性を増した。その分、細分化された。現在の学問分野の多くは、この科学に基づいている。学会も多くはその流れを汲んでおり、学位もそれに派生して出ている傾向にある。しかし、本来、真理探究とは、われわれ人間が区分した枠組みにおさまるはずはない。近年の学際領域の広がりは、科学から哲学への回帰の傾向を示しているのかも知れない。放射線技術学も、これら細分化された科学の融合したものであり、ある意味、元の哲学へと道を辿っているとも考えられる。
 現在、放射線技術学の領域で学位を修得する人は、主に工学あるいは医学で審査を受けている。しかし、放射線技術学は医学でも工学でもない。学位の修得のために、ある人は医学寄りに、ある人は工学寄りに価値観を変えて論文を書いている。これは非常に不自然な姿といわざるをえない。放射線技術学が放射線技術学の分野で評価されて初めて真の評価が与えられることになる。その放射線技術学が確立していないために、多くの素晴らしい研究が日の目を見ないことになってはいないだろうか。放射線技術学は、先にあげた種々の科学を個々に学んでも学び取ることができるものではない。それらをバラバラにして、再度放射線技術学として組み直すことによって初めて姿の見えてくるものである。そこに哲学が存在する。そのためには、現在、診療放射線技師を養成している学校はすべて4年制へと移行し、将来博士課程の大学院を持つことが必須である。最近では、学位にも保険学が増えてきているが、真の意味での「博士(保健学)」は、博士(保健学)を持つ診療放射線技師の資格を持つ人が出す学位であると考えている。そして、そのとき評価される論文に本学会誌に掲載されている論文が選ばれるようになったとき、本学会誌は世界にユニークな放射線技術学の分野の専門誌として、世界に一つしかない雑誌となるであろう。本会誌が会員とともに成長し、いつかそのような雑誌となることを願っている。 


 以上で筆者の“画像分科会今昔”と小寺編集委員長の“放射線技術学とは”を終わりますが、標題の“M I IのIdentity”にふさわしい記述であったかどうか、疑問です。M I I は日本放射線技術学会の画像分科会とはよく似た内容をもつからです。然し、根本的に異なるのは画像分科会は日本放射線技術学会の傘下にあり、M I I は放射線に囚われず独立した学会であると言うことです。そういう意味で比較の目的で記述しました。この二つの小論説は期せずして同じ立場で考えている様に思われます。われわれのような立場で大学を考えるとき大学教員の人事について、殊にその専門性について十二分の考慮が払われるべきであると愚考するものです。

 現在の学制の過渡期においては、真に必要な診療放射線技師の教員は得られなくても、近い将来、新制度による優秀な診療放射線技師の教員が誕生することを一日千秋の思いで待っています。
 丁度時を同じくして、日本放射線技術学会雑誌、2003年1月号に日本放射線技術学会将来構想特別委員会・答申「教育制度変革に伴う本学会の将来ビジョン」が報告されました。
 本学会の錚々たる委員による学会の将来構想であり、私ならずとも会員一同首を長くして待ち望んだ論説でした。個々についての意見は別にして全体的に良く協議され、推考されていると感心した次第でした。
 再三熟読検討した訳ではありませんが、気の着いた事ども二三を述べて大方のご意見を頂きたいと存じます。
 先ず第一にこの将来ビジョンは“現状の肯定の上に立って論議が進められている。”と言うことです。現在の肯定の上に立っては何の進歩も改革もあり得ないと言うことです。もっと分かりやすく言うならば、教育制度変革そのものについて特にカリキュラム等について熟慮検討するべきであろうと思うものです。診療放射線技師の本来的な仕事を見つめ、それに伴った専門的な学問でカリキュラムを構成することが今必須とされています。
 それには“現状の否定の上に立って論議を進めるべきです。”それには一旦否定して本来の目的にそうかどうかについて検討し決めて行くべきでしょう。技術学会がこの仕事をしてこそ将来構想委員会であろうと思うものです。今回の将来ビジョンは技師の仕事を充分知らない人々・官僚的な素人学者・医者は万能であると考えている人々などによる作品であろうと愚考するものです。ただし、現在の診療放射線技師の教育を放棄して、新しい医学物理士(仮名)の道に進むのならば話は別ですが。
 第二にカリキュラムの一例として“撮影学”について述べて見たいと思います。識者は気づいておられると思いますが、大見いだしに撮影の言葉が全て払拭されていることです。“名は体を表す。”と言う言葉があります。保健学科のある教授に尋ねたところ、“撮影と言う言葉を全て画像に置き換えた。”と昂然と答えられた。私は唖然として続く言葉がありませんでした。“X線撮影は放射線技師の金看板である。”これは名大 故高橋教授の名言として知られています。古い技師の私にも技師学校時代大切は言葉でした。“撮影”と言う言葉には生きている人間が含まれています。“画像”には無機的な響きしかありません。撮影の中には患者の情報が含まれ、画像はその中の一面だけを示しています。したがって、大見いだしには“撮影学”が相応しいと信じています。小見出しには一部に画像の言葉があっても、それが主体ではありません。
 特にディジタル画像が誕生してから、画像に関する学問が撮影学に取って代わろうする勢いです。撮影学の中には位置合わせ・撮影条件・患者心理学・その他画像より技師にとってより必要な学問が含まれている事を忘れているのではないでしょうか。
 治療学から計測学が分離しているように撮影学から画像学が分離しておれば、納得出来るのですが。 治療学と同様に撮影学は大項目として扱うべきだと考えます。 将来ビジョンの中の付表“医療情報に関する国家試験出題基準案”を見ても、大・中・小のどの項目にも“撮影”の言葉すら見られません。文部省担当官自体が診療放射線技師をどのように理解しているのか疑問に思うものです。
 技師学校を短大・大学・修士課程・博士過程と昇格させるためには、従来の既成学問の集合でなければ、可能で無いとなれば、診療放射線技術学がまだ確立していない現在やむを得ないカリキュラムと考えざるを得ません。ここに至ってわれわれは次の二つの道の一つを選ぶことになります。一つは従来の既成学問の集合である“医学物理士”の養成に進むか、もう一つは技師養成の原点に帰ってカリキュラムを再編成するかの選択肢となります。
 ところが残念ながら、“医学物理士(仮名)”は米国の制度を借用したもので日本では制度化されていません。将来そのような制度が生まれた時には有意な人材となるでしょう。この道を選ぶ大学はその制度化を同時に推進する必要があります。政治力も必要とし困難な道です。したがって、現在では技師養成の原点に帰ってカリキュラムを再編成する選択肢をとる事が望まれます。古い技師学校時代からの教員がもう現役にいない現在、至難の事ですが多くの文献を元に技師教育の真髄を求めて診療放射線技師の将来を誤らないように努力して頂きたいものです。 
 以上長々と“将来構想特別委員会の答申”について気づいた事を二三述べて見ました。文中過激な言辞・失礼な言葉間々あったかと思いますが、ご寛容たまわらんことを伏してお願い致します。この小論説が学校当局者・技師教育指導者などの目に触れ、反省と新しい改革の一助ともなれば幸いこれに過ぎるものはありません。


 

 以上大分回り道をしましたが、M I I のIdentityについては、M I I になってからの毎号の巻頭言の中から節目節目を何編か掲載して理解していただきたいと存じます。
         

権威ある専門学会

             

M I I September 1984

会長   内田  勝

  常任委員会・委員会・総会の議を経て今年度から放射線イメージ・インフォーメーション研究会(R I I)は医用画像情報学会に衣替えした。”学会になっておめでとう”と何人かの人々から喜ばれた。そのお祝いの言葉には心から嬉しく感謝する一方、冷水をあびせられる思いもするのである。それは顧問立入先生がよく言っておられた”めでたいか、めでたくないかはそれが終わるときにわかるのだよ”という言葉である。”終わりよければすべてよし”という言葉に一脈相通ずるものがあると思うが、その通りである。”おめでとう”といわれたわれわれは多大の債務を背負わされたような気持ちである。

研究の歴史も長く、学問の基礎もでき、将来の展望も開けているこの学術団体が万が一にも衰微するようなことがあっては大変である。本学術団体は当初から職能的な色彩の一切ない純学問的な団体として進んできた。学術団体としては当然そうあるべきであって、それが20年の歴史を示しているのである。

  しかし、いままでいつも執行部をおびやかしてきた大きなネックは経済的な問題であった。経済力の豊かな職能的学術団体と異なり、学問の同好の士というつながりだけでは、その経済力は貧弱であってもやむを得ないのである。しかもこの貧弱な経済的基盤の上に立って、この学会はR I I研究会を引き継いで誕生した。前途多難であると覚悟せねばならない。

  この困難ななかにあっても、年3〜4回の会誌は珠玉のような論文で紙面を満たし、充実した学問的記事で余白を埋めたいと考えている。たとえいまは年発行回数少なくても、頁数が少なくても、そのうちにはちきれんばかりの頁数と月刊でも足りないほどの時代が来ることを夢見ている。いまは超ミニ学会であるが、将来は世界的にも認められた権威ある専門学会として発展したいと願っているわれわれなのである。

  ”自然は急変を嫌う”という。R I I 研究会の内容は徐々に徐々にと医用画像情報学会へ変身するはずである。常務理事会・理事会などで本学会の将来の在り方を真剣に検討しながら、本学会の目的に徐々に収束していきたいと考えている。

  学会員諸氏の絶大なご協力とご後援をお願いする次第である。


学会発足にあたって

M I I January 1985

顧問  立入  弘

  昭和39年3月21日に、大阪大学医学部付属病院の小じんまりした会議室で31人の人々が集まって、ささやかな研究集会が催されました。工学、理学、医学放射線技術などの、年齢や階層を問わない異なった領域からの人達でした。こうした会合のはじめにはいつもみられるように、研究の意気に燃えるもの「イメージ・インフォーメーション」と云うその当時としては耳に新しかった言葉に戸惑う人、あるいは新進の研究者の中に入って学識の若返りを願う年輩者らが、意欲と好奇心をもって基礎的な真理の探究を志しました

 その日の報告は
  「X線撮影系の光学的考察」
  「レンズを含んだ像伝達系の一評価法
「最大情報量撮影」
「ガンマ線スペクトルの超分解」
などでありました。画像情報ではあっても、その中心が臨床医学のX線写真におかれていたのがわかります。
 新しい医用画像情報学会雑誌の第1巻、第1号では
「放射線領域における濃度ー露光量変換曲線とミクロ黒度特性」
「画像の系列依存性による評価
「定量性を保有したSPECT用の新しいデータ採集法
  となっています。こうしてみると、今回「医用」画像情報学会と「改称」されたのは肯かれます。初めの精神が今もなお受け継がれているからであり、名前は研究会でも、学会でも、本来の主旨から云うと一見ネクタイを締めた位のちがいです。しかしネクタイのあるなしは品格を整えるだけはなくて、心構えも一新されるようになりましょう。問題は会員の精進と研究の結果にあるので、第1号巻頭の内田会長の言葉にもその覚悟のほどが窺われて、うれしい限りであります。
「遠くして光りあるものは飾りなり。近づきていよいよ明らかなるは学なり。」
という言葉があります。会員の皆さんのご健闘と内田会長とそのスタッフ強く正しい指導力とを期待し、徐徐ではあっても確実な一歩一歩で、地味な本学会の存在価値を十二分に発揮されるように念願します。


特色ある学会に

M I I January 1997

金森 仁志

  平成8年度の総会で、はからずも、内田先生の後の会長に選任され、身の引き締まる思いです。
かえりみますと、本会は、前身の放射線イメージ・インフォメーション(R I I)研究会から数えて創立32周年を迎え、着実に発展しています。本会の他に医用画像や医用情報の学会、分科会、研究会が幾つかありますが、本会は最も歴史が古く、地道に着実に成果を挙げています。
  ここ数年の演題は、本会創立以来の、画質評価に関するもの、これに関する常識をもう一度根本的に見直そうとするもの、更にもう一つ基礎のX線の物理に関するもの、等が連綿と続いている一方で、計算機を用いた画像処理、診断支援、情報圧縮、等、最新の手法まで、幅広く扱っています。放射線画像研究といえば計算機画像処理だけを思い浮かべる人々が多い今日、本会のように地味な基礎的な問題を息長く扱っている会は他には無いと自負しています。
  画像処理をするにしても、本会は、一見華やかに見える流行的課題だけを追う事無く、特色を生かして、基礎を固め、地道に成果を挙げる事を期待しています。これが本会を末永く発展させる道ではないでしょうか。


権威ある専門学会

M I I September 2002

小寺 吉衛

  昭和39年(1964年)に放射線イメージ・インフォーメーション研究会(RII)として産声をあげた本会は、昭和59年(1984年)に医用画像情報学会(MII)と名称変更し今日にいたっている。学会設立時似、当時の内田勝会長(現名誉会長)は、その巻頭言「権威ある専門学会」で、「たとえいまは年発行回数が少なくても、頁数がすくなくても、そのうちにはちきれんばかりの頁数と月刊でも足りないほどの時代が来ることを夢みている。いまは超ミニ学会であるが、将来は世界的にも認められた権威ある専門学会として発展したいと願っているわれわれなのである」と書かれている
  残念ながら、発行回数、会誌の頁数ともに当時とさほどかわらない状態出、超ミニ学会であることにかわりはないが、今日、この小ささが、研究会ではゆったりと討議ができると別の価値観をもちつつある。金森前会長から引き継ぐに当たり、内田名誉会長から「原点に返りなさい」との言葉を頂いた。本会の原点は画像である。生体をあつかう画像の情報に関する学問を対象分野としている。本会の38年の歴史は、「生体の画像情報」に関する研究であり、これは今後もかわらない。
  内田名誉会長が18年前に掲げた多くの事柄は、まだまだ宿題として残っているが、その中でもっともわれわれが目指すべきものは「世界的にも認められた(生体の画像情報に関する)権威ある専門学会」である。「ほんまやったら国宝やのになあ」といわれるほどの超ミニ学会であろうとも、志すものは専門分野での世界一である。「医用画像情報」という共通のキーワードのもと、志を同じくして集まり、議論をかわし、その成果を論文として掲載する場を提供することが、本会に与えられた使命である。会告にあげた新役員は、それをお手伝いするメンバーである。会員一人一人が、「医用画像情報」学の専門家となり、世界に情報を発信していけば、世界はその存在を認めることになる。権威ある専門学会とは、その分野においてもっとも信頼される団体となることである。これは、一朝一夕にできることではないが、幸いなことに、われわれには諸先輩に培われた歴史がある。この歴史の上に胡座をかくことなく、常に真摯に医用画像情報学を研鑽することが、本会をもって権威ある専門学会にならしめる唯一無二の道であると信ずる。どうかよろしくお願い申し上げます。


会誌20巻の重み

M I I January 2003

藤田 広志

  本巻は第20巻という記念すべき節目の発刊になります(祝)。医用画像情報学会という発足当時から先見の学会名を冠した会誌であり、今後の益々の発展を願うばかりです。
  本号は本会が発足して、第58号になり、また、前身のRII研究会の「放射線像研究」から通しで数えると、第133にもなります。MII学会発足時の第1巻1号(1984.9)において、当時の内田会長が期待された月1回の発行にはいまだ至りませんが、発行回数はあまり問題にしないほうが良いかも知れません。むしろ、本会誌が医用画像情報学の分野において、研究者育成などにいかに貢献しているかを見てみると、以下に記述するように、本会誌は同分野で大きな役割を担っています。
  これまでの会誌をめくってみますと、私が関係した原著論文は、本号を含めて44編有り、解説等が5編あります。また、国際会議報告が12編になります。これらの論文の中には、医学博士の学位取得に用いられたものが1編、工学博士の学位取得(岐阜大学)に用いられたものは5割を超える24編似もなります。その他、修士論文や卒業論文を原著論文にまとめて、投稿した者も多く含まれます。また、これらの論文のいくつかは、内田論文賞や金森奨励賞に輝きました。
  この統計データはたまたま私が関与したものですが、これらの論文に限らず、本会誌では研究者としての最初(または初期)の論文として投稿・掲載されたものが多くあります。すなわち本会誌への論文掲載は、研究初心者の良き目標であり(第一関門)、論文掲載に対して最初の大きな喜びを与えてくれる”忘れられない”会誌であると思います。今後も本学会の大きな役割として、このような若手研究者の育成に本会誌は益々寄与していくべきと信じています。なお、投稿から掲載までの期間が非常に短いのも、本会誌のおおきな魅力になっています。
  医学系に限らず工学系などの分野でも、英語で作成されたインパクトファクタ等が高い論文でないと業績として評価がされにくい時代になってきましたが、そのような中でも、本会誌は学術論文への登竜門としての役割を、今後も胸を張って担い続けていくものと、心から期待しています。