おじいちゃんの写真館2


 今年は医用画像情報学会創立35周年である。広島県立保健福祉短期大学で行われた秋季(第125回)大会で35周年を記念して金森会長の”医用画像情報学会35年のあゆみ”と題する講演があった。もう35年かと感慨新たなものがある。先年宮崎で行われた30周年記念の記事を再録してその後の5年間を反省してみたい。


学会30年を思う

   

会長 内田 勝

 学会創立30周年記念を迎えるに当り,ここに第1回〜第110回研究会演題全目録をおくる。

 本学会は昭和39年3月21日第1回放射線イメージ・インフォーメーション研究会(会長立入 弘〜昭和41年7月)を大阪で開催したのが起源である。RII(Radiation Image Information )と略称し,医用画像情報(Medical Imaging and Information Sci-ences)学会・MIIと昭和59年に改称するまで親しまれてきた。RIIは20年,MIIは10年齢を重ねたことになる。

 30周年記念に際し,つぎのような目的でこの全目録の編集刊行を行なった。
1)“継続は力なり”という。永遠に続くであろうこの学会の一つ の業績として節目節目に記録を残す。
2)研究の発展過程を後から続く者のために参考として残す。
3)研究発表者の系譜を後世に正しく伝える。
 これらを考えながら,全目録を通覧していくとなかなか興味深い。

 情報とかフーリエ解析などの言葉が第1回から出てくるのは,RIIの発生から考えて当然である。ROCが昭和50年,おどろくことにFuzzy推論が昭和55年に表われている。 コンピューター支援診断,ニューラルネットワークが平成3年,目下発展中である。これらが種々の新しい医療用装置・放射線関連用品が開発される度に,適理適所に取り入れられ研究が行なわれ演題となっているものである。その他,X線装置の開発・X線スペクトル等みるべきものが多々ある。これらの演題の中に,多くの研究者の学位論文の素因となる論文が多数見受けられることは,この学会の大いなる誇りとするところである。

 終わりに臨み,筆者なりに一つの展望を述べてみたい。

 “MTF・ウィーナースペクトルなどその他の物理条件がいかによくても,私の望む陰影が出ていないフィルムは私にとって意味がない。逆にいかにそれらの物理条件がわるくても,私の欲するものが出ているフィルムは最高である。”これは約20年前,岐大に在職していたときに医学部のドクターから聞いた言葉である。当時,X線造影写真で5mmの早期胃癌を発見した名医として喧伝された人物である。濃度が適当でコントラスト・鮮鋭度・粒状性などその他の評価条件がベストであるような画像を求めていた筆者にとって晴天の霹靂ともいえることばであった。当然の言葉であるだけに,それ以来この言葉は頭の片隅から離れず,事あるごとに反省の材料となっている。

 放射線技師についても,むかし名人芸といわれるX線技師が多くいた。当時徒弟制度であったため,これらの名人芸にはいろいろな弊害が伴なった。そこで,これらの名人芸をなくし,学べば誰でも一通りの技術ができるものとするために学校制度ができた。そして,今では4年制大学にまで学問として発展したのである。

 ここに至って,これでいいのだろうかと思う。

 放射線撮影に関していえば,学校教育を受ければ誰でも3点位の写真はとりうるだろうけれども,名医の望む5点の写真をとることができるだろうか。疑問である。コンピューター支援診断はドクターの診断を支援するといいながらも,コンピューターはあわよくば人智を越えようとする。人間はそんな甘いものではないが。聴診器医師の時代には名医がいたが,コンピューター医師の現代に名医はいるのだろうか。

 デカルトによって,科学は客観的・普遍的にここまで成長した。これから先は,併わせて,パスカルのいう人間個性の主観を重視した成熟によって,デジタルでは真似のできない名人の誕生が望まれる時代が来るのではなかろうか。人間としてそのようにありたいと思う。

 学会の使命もこのような線に沿って,デカルトによるしっかりした基盤の成長の上に立ち,個性の主観の成熟によって学問の発展を目指して行きたいと願うものである。

 以上とりとめのない記述となったが,30年という一つの節目において回顧と将来の展望について述べ,諸兄姉のご批判を仰ぐものである。

 終わりに,この記念誌の編集刊行に当たられた宮崎医科大学附属病院放射線部技師長稲津 博博士はじめ技師諸氏に深甚の謝意を表する。


  画像が上手く入力出来たものからアットランダムに掲載していきます。今回は35周年記念アルバムの観がありますが、お許し下さい。写真を並べて見て”いやにおじいちゃんの写真が多いな”と漏らしたらわが賢妻が”おじいちゃんのホームページだからいいんじゃない”に勇気づけられてuploadしました。ではアルバムを開いて見ましょう。

画像

平成11年度秋季(第125回)大会懇親会。

 長谷川顧問の”乾杯”の音頭でコップを持っているところ。上席だけしか撮れていませんが、40ー50名ぐらいの出席だったかと思います。それでも久し振りに会う学友達との交流は2次会にまでおよび楽しい一夜でした。

 明日特別講演”放射線の人体に対する影響”をして頂く本学の澤田学長のお顔も見えます。熊本大学におられる頃から懇意にさせて頂いておりましたが、益々お元気で頼もしい限りです。   

岐阜大学藤田教授。

 岐阜大学の教え子のトップクラスです。出藍の誉れも良いところで今では日本におけるCADの権威者で世界的にもその業績を争っております。正にデカルト思考の純正派です。

 おじいちゃんがいま何か言う事があるとすれば、パスカル的な彼自身の個性を生かしたCADの開発を願うばかりです。

畠川君と松本(光弘)君。

 二人とも阪大出身で畠川君は技師学校の専攻科の一回生です。昨年見事工学博士の学位を授与され、技師学校卒として万丈の気をはきました。松本君は短大卒で私の息子の命の恩人と言っても良い人です。オーストラリアでグライダー教習で身を立てているパイロットです。昨年E-mailで直腸癌との診断をSOSして来ました。急遽日本で手術する事になりました。その時に入院から手術・リハビリなど万端面倒を見て頂きました。お陰様で現在では妻も娶り現役に復帰しております。本人共々感謝しております。

大庭教授と小寺教授。

 大庭教授は九州歯科大学・小寺教授は名古屋大学です。大庭教授はお若い頃九大放射線科医局に在籍しておられ、入江先生の薫陶を受けられたと聞きました。入江先生には大変可愛がられた思い出が沢山あります。乗鞍山に2泊3日連れて行って頂いた事、また学会の度に古賀先生を交えて囲碁を楽しんだ事。小寺君は宮崎大学時代風呂屋の2階に下宿していて、隣のマンションの5階に単身赴任していた私は退屈凌ぎに勉強しているかなとちょいちょい眺めたものです。この度はMIIのかなめを担当して頂く事になり、御苦労とは存じますが将来を託し期待しております。   

金森会長と長谷川顧問。

  お二方ともMIIの重鎮です。金森先生とはMII学会がRIIと言っていた創設時代から共に悩み苦しみまた手を取り合って喜んだ仲です。学会が危機に瀕した事も何度かありました。その度に何とか切り抜けられたのも二人の絆が大きな支えであったと思います。また関西がバテルと関東が助けてくれる。長谷川先生と竹中先生がMIIが一番苦しい時代を受け持ってくれました。現在あるのは先生方お二人の功績であろうと思います。感謝しております。

滝川教授と松井部長。

  滝川教授は来年から4年制に昇格する原動力として活躍中です。彼は京大理学部出身で阪大の短大に入り直した傑物です。阪大医短大で将来を属目していたのですが、感ずるところあってか現職に出向したものです。松井部長はコニカから派遣のMII理事です。数ある会社関係からのMII理事の中でも松井さんだけは殆ど毎回のように理事会に出席して騾つ弁を振るってくれます。有り難い方です。

小島教授。

  立派になりました。彼との仲は岐阜大学時代初期からですので約25年になります。それからずっと今まで付かず離れず見守ってくれています。彼に名言が有ります。”内田先生は厳しい、それに耐え抜いて来た者は皆一角の人間になっている。諦めた者はそれまでだ。”浜松大学を去る日に私を送る会での送辞でした。私に反省を求める言葉であったのかも知れません。確かに私にはデカルト的な厳しさが殊に若い頃にはありました。後悔している事が沢山あります。教育は個人の特性に従って行うべきである、パスカル思考が必要であるとつくづくと思うこの頃です。

丹羽先生と。

  MIIの前事務局総務理事です。MII学会の会長を金森先生が引き継いだ時、困ったのは新しい事務局をどこにお願いすれば良いかでした。医学関係の大学では引き受けてくれそうな所なく、考えに考えた末、早くから会員であり、研究業績も優れている丹羽教授にお願いしてはとなりました。その頃奥羽大学歯学部に所属しておられました。その後明海大学歯学部に事務局は移転しましたが、医学の範疇に属する歯学に足掛かりを得た事で一歩前進と考えていました。1期3年間有り難うございました。歯学関係のお陰で、我々が見過ごしていた放射線画像基礎の諸問題を提起して頂き、格段に明らかになった事を感謝します。

懇親会風景。

  暗くてよくはわかりませんが和気あいあいの懇親会です。今回は研究会の後、懇親会、翌日特別講演と短大放射線技術科学科の見学がありました。見学して驚きました。病院の放射線科の設備そのものであった事です。それもその筈短大付属診療所としての設備と聞き納得しました。群馬県立短大は付属病院を持っているとか、もっと素晴らしいそうです。従って短大教員は診療も義務の内との事でした。短大が単独で最新の設備を持つ最も良い方法だと感心しました。

中森先生。

 理論家で有名。樋口教授・滝川教授も見える。樋口先生も中森先生も専門が理論と聞いています。私が理論家を始めて知ったのは岐阜大学の田中教授です。私が岐阜大在職中に採用された田中助手の論文を見てこれが理論かと目から鱗が落ちる思いをしました。今まである程度数式をならべ、理屈を捏ねて理論と思っていたのが正に噴飯ものであると気付かされました。”理論は理論を以て証明すべきであり、実験の様な誤差の大きな手段で証明出来ない。実験は理論の仮定の正当性を証明するものである。”と言う事は若い頃から気付いてはいましたが。