おじいちゃんの写真館3


  1999・7・14にこのホームページをUPLOADしてからおじいちゃんの写真館も第3集となりました。今回は久留米市で行われました日放技学会第27回秋季学術大会のスナップとおじいちゃんが年甲斐もなく岐阜大の大学院生に5時間の”電子情報特論”の講義を仰せつかり、終了後その慰労会のスナップです。

  スナップと言いましても、ランダムに撮られたデジカメの沢山の写真の中から10枚程度選ぶのは大変難しい事です。出来るだけ多くの人々に見て頂いて、懐かしみ喜ばれる様なショットを選んだ積もりですが、これも所詮おじいちゃんのパスカル的好みであろうかと反省しております。

  画像が上手く入力出来たものからアットランダムに掲載していきます。またちょいちょい更新して行きたいと思っています。ではアルバムを開いて見ましょう。アルバム1・2と同じ様に敬称は略させて頂きます。

画像

学会長など役員。

  川村学会長・高田大会会長・中島準備委員長など良く知られた人々です。川村学会長とは古い馴染みで東京の森矢・青柳の諸氏との交流時代からの知己です。全国の信望を担っての新学会長であって見ればその張りきり様は目覚ましいばかりです。技術史第2集の時期であり、その手腕が期待されています。また高田大会長は宮医大時代からの稲津博士と共に仲良くして頂いた方です。熊大での躍進を祈っています。

事務局の人々。

  御存じの方も多い筈ですが、吉富事務局長と鈴田主任です。もう一方は新人です。今回は見えてませんが、一番古くからの清水主任がおられます。事務局は縁の下の力持ちで表面には現れませんが、学会の運営上その潤滑油としての功績は目に見えないだけに非常に大きなものがあります。何時も感謝しています。

松本教授。

  熊本医療短大の松本教授と本年大会長を勤める平林技師長です。松本教授とは技師学校時代からの知己で、非常勤で何度もお伺いし技師の将来についてよく話し合ったものです。ここも大学に昇格が運命付けられていて徐徐にではありますが、準備が進んでいる様です。松本教授はその核として期待されています。頑張って下さい。

山田教授。

  写真は山田教授・川村学会長・大塚博士です。山田教授は私が阪大の技師学校、彼がレントゲン技術専修学校の教員時代からのよくよく知った仲です。官学・私学の別はあっても日本で始めて開校した学校の抱える悩みや苦しみを時にふれ話し合っては頑張ったものでした。私は技師学校を離れましたが、彼は辛抱強く学校を短大にまで昇格させ、現在の姿にまで持って来ました。更に4年制への夢の実現に向かって努力しています。人事ならず応援する気持ちで一杯です。

梅崎博士。

  梅崎博士は久留米医大の現役の頃、稲津博士の同級生と言う事で知った仲です。彼はアイソトープ関係の研究が専門で、私とは研究上の交流はありませんでしたが、彼の専門を学ぶ人々は彼を頼りによく勉強していたようです。また彼の作るホームページはなかなか楽しく、私も一部屋借りて発言の場を持っています。

東田博士。

  東田博士は現在九大の医療短大に在籍しておられますが、元熊本大の医療短大で教鞭を取っておりました。工学博士・医学博士の二つの学位を持っています。正に有能な技師の見本の様な方です。熊本大技師学校の出身ではトップクラスでしょう。彼を手本にして若い医療技術者が追い掛けています。いいことだと思います。益々励んで下さい。

仁田教授。

  話している限り25年前の仁田助教授と少しも変わりません。タイムスリップした様です。しかし写真で見る通り風格ある容姿は当時と比較にならないほどで、25年の蛍雪が忍ばれます。私が赴任した当時からアモルファスの権威で現在では世界的な高い評価が為されています。スポーツマンでもあり、テニスや冬山スキーなどはスタッフや学生を連れて行くほどです。私も現役中に連れて行って貰った事があります。懐かしい懐かしい思い出です。大事に大事に胸にしまってあります。

田中教授。

  素晴らしく良く撮れている写真です。可愛らしい童顔は得ですね。この人も25年前と写真では大して変わりませんが、当時の助手は現在押しも押されもしない立派な教授です。”ランダムドットモデル”では特異な領域を開拓して世をアッと言わせました。理論とは何たるかを教えてくれた思いでした。完全な理論家でどんな頭の構造なのだろうかと時々不審に思う事があります。彼は今”UFO”にこっています。翻訳著書も2、3あります。私の踏み込めない領域の様です。

教え子達。

  小島教授・佐井教授・山田助教授の面々です。佐井教授は岐阜高専の、山田助教授は関の医療短大の所属です。4月から佐井教授は国立大学の教授として、山田助教授は国立高専の教授として栄転が決まっております。佐井教授は院生の頃、私の厳しい教育方針の下で十二指腸潰瘍を煩い長く療養した事があり、いまでも申し訳ない事をしたと思う事があります。それにも拘らず彼の不断の努力は立派に結実して今日の栄転が約束されました。山田助教授も田中教授の難解な理論によくついて行きました。やはり努力による栄冠であろうと心から祝福します。

院生講義。

  岐阜大学大学院院生の講義の一場面です。”デカルト思考とパスカル思考の狭間”というテーマでの講義でした。本ホームページを教材として講義しました。恥ずかしい話ですが、ホームページが2メートル四方ぐらいに拡大投射されるとは知りませんでした。ファジィのルーツがパスカルである事からファジィ推論も略述しました。提出論文テーマは”現代の諸問題を二つの思考形態から比較して見よ”と言うものでした。その提出された論文は手許にあります。なかなか面白いので、適当な時期にホームページに掲載したいと思っています。