おじいちゃんの写真館 8


  2001年8月25日 土曜日 大阪国際会議場・リーガルロイヤルホテルで大阪大学診療放射線技師教育50年記念式典が執り行われました。”21世紀の放射線技術科学を考える”という副題を持つ将来思考の記念式典でした。おじいちゃんも創世時の教員の一人として招待されました。

  主催:大阪大学放射線技術科学学友会
  共催:大阪大学医学部保健学科放射線技術科学専攻
     大阪大学医学部付属病院放射線部技師室
     大阪大学大学院医学系研究科生体情報医学講座(旧 放射線医学講座)

  第1部は国際会議場(1009号室)で、14:00から開会の辞が総合司会:小水 満(医療短大3期)によって行われ、式次第が始まりました。

  初めのパネルディスカッションは司会:中西省三(大阪大学付属病院放射線部)・内藤博昭(大阪大学医学部保健学科)によって進められました。パネリストは下記の通りです。

       稲邑清也先生 (大阪大学)
       小寺吉衛先生 (名古屋大学)
       山本洋一先生 (鈴鹿医療科学大学)
       石田隆行先生 (広島国際大学)
特別発言
       内田 勝先生 (医用画像情報学会名誉会長・日本放射線技術学会名誉顧問)

  10分ほど休憩の後16:00から記念講演が行われました。司会は松本 貴(学友会会長・医療短大6期)、演者は小塚隆弘先生(大阪大学名誉教授、市立貝塚病院総長)、演題は”放射線技術科学にかける夢”でした。

    

大阪大学診療放射線技師教育50年記念式典

第一部 国際会議場(1009号室)

  左2枚は大阪国際会議場の入り口と玄関です。おじいちゃんは初めてでしたので、キョロキョロと歩き回りました。リーガルロイヤルホテルとは国際会議場の中で繋がっています。便利に考えられています。おじいちゃんは所用があってこのホテルには宿泊出来ませんでしたが、出席者は殆ど泊まった様です。豪華な眠りだったことでしょう。  

  司会の誘導で各パネリスト多少緊張気味で自分の大學の紹介・特色・技師教育に対する意見など大体15分見当で話されました。私に与えられたのは5分とのこと、昔の事には余り触れて欲しくない様子です。しかし、”温故知新”を旨とするおじいちゃんは昔の人々に感謝し、新しい人々に改革を訴えました。右の一枚は2名の司会者です。  

  パネリスト4名、特別発言1名を並べて再掲しました。左から稲邑清也先生(大阪大学)、小寺吉衛先生(名古屋大学)、山本洋一先生(鈴鹿医療科学大学)、石田隆行先生(広島国際大学)、内田 勝先生(医用画像情報学会名誉会長、日本放射線技術学会名誉顧問)

  若い働き盛りの壮年層の先生方の中に私一人の高年者が混じり、発言の責任の重さを実感しました。私は創立十周年記念誌から創立に携わった先生方、お山の幼稚園と言われながらも初めて看板を掲げた木造校舎、当時の技師室の行楽(磯遊び)の写真をスライドにして お見せしました。もちろん初めにここまで立派に育てていただいた人々に対して感謝の言葉は先ず申し上げました。「仏作って魂いれず」ではならないと言外に込めて。

  パネリストが勢揃いした所です。おじいちゃんに与えられた時間は5分と言うことでしたので、脈絡はつきませんでしたが、肝心のところだけは発言しておきました。初めにある大學の「脱診療」・「脱放射線」の言句を耳にした時は吃驚しました。この大學の研究・教育の目的は何なのであろう?「診療放射線技師」を養成する大學ではないのか。国家試験100%の実績の上に更に他の資格に挑戦するのは立派な事であり、勧められる事であります。右の写真はパネリストに混じって発言しているおじいちゃんです。     
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     左は休憩時間を挟んで記念講演を待っているところ。16:00から記念講演が始まります。 司会:松本 貴(学友会会長、医療短大6期)、演者:小塚隆弘先生(大阪大学名誉教授、市立貝塚病院総長)、演題:放射線技術科学にかける夢 でした。放射線医師が我々技師の将来にかける期待の重要さに襟を正す思いでした。これで第1部を終了し、リーガロイヤルホテル2階菊の間における第2部に移ります。

第2部 リーガロイヤルホテル 2階 菊の間

  第2部は18:00開演、司会:松本光弘(医療短大8期、学友会副会長)、開会の辞:大阪大学放射線技術科学学友会会長 松本 貴(医療短大6期)から始まり、ご来賓祝辞・鏡割り・乾杯と続きます。左の写真は鏡割りの瞬間、右の写真は2期生山下君の音頭による乾杯の写真です。ご来賓祝辞は放射線工業会・他校学友会・同窓会各御代表その他から頂き50年の歴史を噛み締めました。中でも立入先生(大阪大学名誉教授、元大阪大学医学部付属診療エックス線技師学校校長)からの祝辞は92歳というお年に拘わらずしっかりとした口調で述べられました。

  このご祝辞のなかで”このように立派な4年制大學になったのは内田 勝さんなくしては得られていない。”のお言葉に接したときは思わず涙ぐむ程の感激を覚えました。正に”時よ止まれ”の感激の瞬時でした。一番右の写真にみられるようにおじいちゃんが顔をあげられなくて頭を垂れているのが写っています。大きな大きな勲章を頂いた気持ちでした。世にはなにも認められなくともこの勲章だけで生きてきた甲斐があったと思えました。感謝の気持ちで一杯でした。

  ご来賓祝辞には多くの方々から半世紀にわたる存続と、現在の完成度の高い偉容についてお言葉を頂き一同喜びに打ち震えておりました。最後に昔懐かしい遠藤俊夫様(元大阪大学付属病院放射線科技師長)の相変わらず流暢な諧謔と風刺に充ちた祝辞を頂きました。正に感動の連続でした。後、山下一也(X2)、畑川政勝(専攻1)、越智 保(短1)、川下郁生(保1)、松本 貴会長の5名の手で鏡割りが目出度く行われました。乾杯は技師学校2期卒、元学友会会長の山下一也君の音頭で、続いて祝宴にはいりました。 18:45 祝宴開始、19:15 テーブルスピーチを頂きました。

大阪大学放射線技術科学学友会特別会員代表
 稲本一夫(前大阪大学保健学科教授、医誠病院健康増進センター)
大阪大学医学部保健学科放射線技術科学専攻代表
 稲邑清也(大阪大学保健学科教授)
大阪大学大学院医学系研究科生態情報医学講座代表
 鳴海善文(大阪大学付属病院放射線部副部長・助教授)
大阪大学医学部付属病院放射線部技師室代表
 中西省三 (大阪大学医学部付属病院放射線部技師長)
大阪大学放射線技術科学学友会各期代表

  以上4名の方々のスピーチを頂いたのですが、各テーブル興奮と談笑、久しぶりの歓談でお行儀の悪いこと、演者の前のテーブルの我々でも聞き取れなくて残念でもあり、申し訳なく思いました。一枚一枚説明はしませんが、各期有志が集まって写真が撮られました。

  予定では19:45から食事歓談が始まる事になっていましたが、祝宴開始と同時に食事歓談が始まり賑やかなスピーチ環境でした。20:00中締めを
 大阪大学保健学科放射線技術科学専攻長 別府慎太郎様によって行われ、後は三々五々グループで旧交を温める者、現在を語り合う者、昔話に興ずる者などなど、おじいちゃんを含めて高年者はお先に失礼しましたので後の事はよく分かりません。しかし記念式典実行委員会の方々は後始末や反省会などで大変だったのではないでしょうか。ご苦労様でした。厚くお礼申し上げます。

  遠藤様から会場で珍しい昔の写真が見つかったから持ってきたと見せて頂いたので、早速コピーを送っていただきました。
     

  写真はコピーでも、現物はもっと良いのですが、おじいちゃんの腕前が折角の画像を台無しにしてしまいました。それでも知っている人の顔なら何とか識別出来るのが不思議です。西岡教授・永井助教授・二宮技師長・遠藤技師・柴谷技師・宮永講師・内田教務主任その他技師学校在学生です。このころはまだ石橋移転前の空き教室を転々としていた時代です。この時代に在学していた学生は”技師学校とは何をする学校なのだろう?就職はどうなのだろう?身分は?サラリーは?将来性は?等々未知の世界に入った不安と希望の狭間で苦悩していた頃でしょう。

  それらを励まし、将来の希望を明らかにし、日本で初めて出来た技師学校の誇りを自覚させるのも専任講師の役目でした。その一つの方法として初期の卒業生には関東方面に就職する事を勧めました。その要望に応えて相当数の卒業生が関東方面に就職し、技術学会・技師会で活躍しています。また学問の重要性を説き、学位受領の道を開き、十指に余る学位受領者を生みました。

  専任講師の厳しいスパルタ教育は学生の恐怖・怨嗟の的であったと自覚しています。しかし立入校長の陰になり日向になりの庇護のお陰で無事職責を果たすことが出来たと今でも感謝しています。写真を見ながらあれやこれやと思い出を語ると切りがありません。記念式典実行委員会のカメラ係から良い写真が送られてくると思いますので、また稿を改めて述べたいと思います。


  この原稿をタイプしている最中に”米で同時多発テロ”のニュースが入りました。”一寸先は闇”とはよく言われる言葉ですが、誰が予測出来たでしょう。後からなら何とでも言えますが。技師教育50年記念式典はやっと約半世紀です。次の半世紀次の一世紀次の二世紀・・・・・・気の遠くなる様な未来は予測すべくもありません。人間は宇宙の究極を極めようと努力しています。あまりにも分からないことが多すぎます。出来ることなら後の世紀に生まれ変わって医療体系を見てみたいと思うのはおじいちゃんだけではないでしょう。

  しかし不動のものはあると信じています。それは人間の立法、哲学です。代表的なデカルト哲学とパスカル哲学です。これら二つの考え方を理解し、この対立する二つのものは永遠に対立し続けるのではなくお互いに影響しあいながら、この世を構成していると考えます。デカルトの中にもパスカルの要素があり、パスカルの中にもデカルトの要素があり、デカルトからパスカル、パスカルからデカルトという循環を繰り返しながらこの世は自然に治まっていくものでしょう。。

  四年制大學になった技師学校は三年生までに国家試験合格率100%合格の実力をつけ(デカルト教育)、四年生と大学院ではそれぞれ各人の専門を選び研究にはいる(パスカル教育)システムが望ましいとおじいちゃんの50年の経験は語ります。これは現在の心境ですが、将来は如何様になるか予測は出来ません。現在の医療体系では診療放射線技術学の確立と理想的な診療放射線技師の養成が急務であることを認識していただきたいと思うものです。