熱き青春の思い

内田 勝


  この頃閑に任せて良く昔のアルバムを広げます。特に一昨年脳梗塞を病んでから余り外出しないので再々見る事になります。終戦直前の大阪大空襲で家が全焼した時に命からがら持ち出したのは、角帽と卒業アルバムその他2,3でした。子供の頃からの写真は殆ど焼失してしまいました。従って卒業アルバムなどは私にとって貴重品の一つです。”マヤンの呟き7”ではこのアルバムから思い出深いものを一部選んで掲載してみました。

  同時に、寮歌集が挟まれていましたので適宜歌詞だけでもと付記しました。戦前・戦中に作られたものですので現在では発禁物かも知れませんが、その時代の産物としてご了解下さい。その頃の若者の 意気軒昂たる姿をご想像下さい。先ず旅順工科大学の発端から述べたい所ですが、その資料がありません。興亜寮史と言うのがあった記憶はあるのですが。

  大正10年の事、当時の後藤新平閣下が馬に跨って”俺が今から走った跡が全て旅順工科大学の敷地である”と言われパッカパッカと馬を飛ばされたと言われています。遼東半島の南端に広大な敷地を 持っているのはその為だそうです。学舎の本館は白亜に赤の幾何模様の入った洒落た建物で元ロシアの海兵団であったとの事、卒業実験で徹夜するときなど真夜中に白壁に血が滲み出ると言う怪談に怯えた事を懐かしく思い出します。

  ”甲子学難”という言葉が遠い遠い昔の微かな記憶の中にあります。創立時は旅順工科学堂といっていたらしいのですが、大學になって間もなく学生の中に赤色分子が発生しました。文部省の知るところとなり戦時中でもあり数名検挙されました。その上、閉学の命が下されました。当時の教官・学生は 必死になってこの処置に抗議し文部省に押し掛けて撤回を求めました。それが功を奏したのか、条件付きで閉学を免れることが出来ました。その条件は、全員運動部所属、全寮制度でした。学生は全員運動部に所属し、思想的な事を勉強する機会を無くし、全寮制度で上級生が下級生を指導するという目論見だったようです。おじいちゃんが入寮した頃でもまだ思想的な本がアチコチに散見されていました。   

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熱き青春の思い


昭和13年(1938)興亜寮全員


  おじいちゃんが予科に入学した年、1,2,3年興亜寮全員で写真を撮ったもの。1学年定員100名計300名の寮生の内何名いるか数えた事もありませんが、上級生は数える程しか居ないようです。

     旅順工科大学正歌       久米孝一 昨歌  信時  潔 昨曲

  1.  平和の鐘は疾く鳴りぬ             意気乾坤に満つる時
      降霞たなびく霊陽は             山紫に水清し
      丘上高く三層の                学府に輝く   興亜の旗幟
  2.  東邦の光地を覆ふ              広野はるけし幾千里
      見よや北斗の星冴えて            図南の夢に胸躍る
      ああ若き血の高鳴りに            いでや歌はん  興亜の調べ
  3.  西天万里の夕日かげ             青史に匂ふ霊南の
      工科の庭に輝けば             結ぶ日華のたまだすき
      いざ連立ちて向上の            野に果さなん  興亜の使命       
 

  

当時の教官

  当時の予科教官全員です。今から思えば立派な先生方ばかりで現在の国立大学の先生方とは挌が違う様な気がします。学制も違いましたけれども、大學教育が一般に開放されておらず、エリート視されていた時代だったからともいえるでしょう。内地の旧制高校と異なるのは支那語が必須として余分に課せられていた事です。その代わり卒業時には支那語通訳2級の免状を取得する事が出来ました。

  写真で目に付くのは軍服姿の予備役軍人が居ることです。”校門は衛門に通ず”と言われていた時代です。兵・小隊長・中隊長・大隊長などの訓練を教練科目で鍛えられました。入隊した時、昇格のためにもいい成績が必要でしたので学問以上に関心事でした。支那語の中国の先生も見えます。

      旅順工科大学副歌         土井晩翠 作詞  信時  潔 作曲

  1.   東亜の歴史に不朽の跡を              残せし渤海旅順の港
       この地に新たに興亜の使命                   高きを掲げて学堂聳ゆ
  2.   連想一々血潮を湧かす               霊南この里時勢の進み
             請ふ見よ魏魏たる三層楼を             科学と工業栄えの標
  3.   人文香りて日華の友は               同胞親しむ大儀を奉じ
       青春恵みの月日のもとに              智徳を磨きて肢体を鍛ふ
  4.   前人伝えし道をし広め               造化の尽きざる巧みを利して
       尽くさん我が分世界は広し             ああ見よ光明東に渤る

    

同級生(1組)


  左は昭和13年(1938)入学時の一組の全員写真、右は昭和16年予科終了時の寄せ書きです。一人一人に懐かしい思い出と感激があります。胸が熱くなって来ます。

             入場歌            淵田 多穂理 作詞

    1.  悲風地を捲き文弱の            妖雲起こり世を乱す        
        されど霊南四百の             時潮に染まぬ意気の児等
        雄図仕切りに胸に湧き           思いは狂う東亜の地
    2.  白刃血に飢え腰にあり           熱血溢れ胸躍る
        見よや霊南四百の             雄雄し立ちたる意気の児等
        その大旛の行く所             世の混沌の雲払ふ     
    3.  咬竜今や雲を呼び             蒼鷹一羽爪を研ぐ
        行けや霊南四百の              敵を恐れぬ意気の児等
        彼何者ぞ我前に                 あぐる可憐の鯨波の声
    4.  我に刃向ふ敵あらば               降魔の利剣破邪の弓
        起てや霊南四百の                必勝手にあり意気の児等
        悍馬一度嘶けば                 早敵陣の乱れ行く
                
     

同級生(2組)


  左は一組と同時入学の二組全員の写真です。右は卒業時の寄せ書きです。二組には端艇部の親友佐藤と藤井が見えます。二人とも今は会う事も出来ません。  

                          旅順工科大学 応援歌

       1.   唐紅の花衣             茗荷の色は妙なれど
            蘭麝の香り名残にて         野薔薇散り行くいささ川
       2.   紅葉枝に契るとも          紅永く止まらず
            秋風一過払ふ時           翻り散る木の葉哉
       3.   嗚呼残塁の緑萌え          池水に匂ふ白蓮の
            葉に置く露や空に凝り        咲いて煌めく星一つ
       4.   昆論の峰高くとも          謂水の流深くとも
            中原の原広くとも          君が功に比べんや
       5.   いざもろ共に紫の          葡萄の酒の盃に
            玉餐遂に倒るまで          共に祝はんその誉     共に祝はんその誉
                                 

授業


  左は一組の担任数学の金原先生、右は二組の担任英語の渡辺先生それぞれの授業風景です。金原先生は写真でも分かるように素晴らしい板書で、定規で書いたように正しく書かれ見とれるほどに正確でした。終戦後は九州大学工学部教授として迎えられました。先生には終戦後もお世話になった事は前述の通りです。

  渡辺先生は現在でもお元気に東京にお住まいだそうで川原先輩からご様子をお伺いしています。英語は素晴らしい発音で活字を追うのが間に合わないほど早かったのを覚えています。ハンサムな先生は戦時中で遠慮がちながら瀟洒なスタイルでした。

  その頃の先生方は今に比べると裕福であったようで、それに付け込んだ訳ではありませんが、友人達何人かで夜先生宅に押し掛け御馳走になるのが慣習になっていました。先生方の奥様は大変だったようです。若気の至りとは言え、申し訳ない事をしたと思っています。大抵、旅順新市街の学生常連の”大寶楼”(そこは個人的に大抵付け払いで借金がありました)からの料理を頂きました。今時では考えられない夢のような話です。  

  

自習室・蝋勉


  寮生活に入ります。勿論木造ですが、冬季寒いので窓は全て二重ガラスです。自習室と寝室に大別されています。自習室は12室で主・副の二部屋からなっています。20人から30人を収容しています。寝室は一つで全員のベッドがズラッと並んでいます。左は試験中の自習室の写真です。こんなに机について勉強している風景は滅多に見られるものではありません。多分”やらせ”でしょう。

  右は”蝋勉”とありますが、10時消灯後は斯くの如く蝋燭を立てて読書する事になります。如何にも勉強家のようですが、これも”やらせ”の類のようです。懐かしいドイツ語、今では意味さえ取りかねる有様、情けない事です。

  特記する事があります。それは”窓便”です。共同便所は遠いので、夜中の小便はつい窓を開けて窓外放出する事になります。雪の積もる冬などでもやむを得ません。お陰で昼間は小便臭くて通れたものではありません。それでも”窓便”禁止令は出ませんでした。

  夜、クラス会・運動部・クラブ・その他個人的に旧市街に繰り出しては老酒を煽り放歌高吟、いい調子でご帰還、1室から12室まで一人一人のベッドに跨り説教をしたり哲学を述べたり中には平素の鬱憤を晴らす者もいて新入生には正に脅威でした。羽目を外して街頭でポリさんに捕まって一晩ポリボックスにとめおかれる先輩もいました。勿論貰い下げは寮監の先生の仕事でした。学生時代は若いとは言え色んな方々にご迷惑をお掛けしました。申し訳ないとお詫びしています。

光風閣

  寮の神聖な場所として”光風閣”がありました。寮の色んな問題をこの部屋で審議しました。室長会が主でしたが、その他、選挙・講演・演劇・演奏会・研究会・送別会・歓迎会等々公の集会所として利用されました。

  写真は室長会議の場面で正面には寮監の先生方が座っておられます。先生方からお説教を頂いたり、例えば12室はよく裏のリンゴ畑に忍んで、ズボンの足を結んでその中にリンゴを沢山頂戴したものです。リンゴ園の主(満州人)は”沢山あるのだから、取るのはいいが枝を傷付けないようにして下さい”の申し入れなどお説教です。番犬に追っかけられた寮生も一人や二人ではありません。

  

         寮歌            興亜寮雑誌部 選  園山民兵 作曲

    1.  紫雲たなびく老鉄は           松の緑の色も濃く
        鏡の如き西港は             戦蹟の影うつしたり
        古城さびしく立つほとり         報国の念日と燃えて
        希望あふるる健児等が          結ぶ霊南興亜寮        結ぶ霊南興亜寮
    2.  巷旋風吹き荒れて            怒濤吼え立つ渤海湾
        然か軽佻の世の中を           然か混乱の世の相を
        高く月見が岡の上に           静観沈思永遠の
        策を立つべき健男児           これぞ霊南興亜寮       これぞ霊南興亜寮
    3.  興亜の使命我にあり           満身これ胆正義の名
        自由平和の殿堂に            集ふ四百の若人は
        行くてはるけき満蒙に          花と咲くべき意気強し
        たたえ工大興亜寮            光!ほまれの不朽の名     光!ほまれの不朽の名

食堂・散髪


  寮の中には色々な厚生設備がありました。写真に出ているのは、大食堂(写真は約四分の一)と散髪室だけですが、この他に喫茶室・大浴場(ここでは両手で作る水鉄砲が楽しい競技でした)・医務室・会計室(銀行がわりの出納室)・娯楽室・暗室(写真同好会のため)等々何不自由なく生活出来ました。


           寮歌      森住一郎 作詞  興亜寮 作曲

       1.   三年の春の明け暮れに              桜花の勲胸に秘め
            月見が岡のアカシヤに              香り絶えなき興亜の気
            同じ思いに集いたる               異郷に燃えし寮生が
            心を結ぶ興亜寮                 ああ類なき興亜寮
       2.   渤海の波音も絶え                秋清涼の月高く
            くみては結ぶ玉杯に               誓いはかたし興亜の児
            こりてかたまる大業に              聖地に遊ぶ若人が
            理想は高し興亜寮                ああ大なりや興亜寮
       3.   白玉塔下燦然と                 爾霊嵐に鍛え立ち
            霊血の意気胸に持つ                思いは高し興亜の児
            軽佻の世をよそにして              理想の自治へ寮生が
            歩みはつきぬ興亜寮               ああ威なるかな興亜寮
       4.   時は流れて時を生み               世は移ろひて幾度ぞ
            人は過ぎにし行く水の              流れは続く興亜の気
            心に抱き奮い立つ                日華二百の若人が
            同じ心は興亜寮                 ああ麗はしや興亜寮

豚まん・すき焼き


  左は部屋で豚まんを食べているところ。右は娯楽室ですき焼きに舌鼓を打っているところ。 左の写真をよくご覧下さい。各人割り勘で等分の出資をしているのでその食べるのが早いこと、記録保持者は一分間に豚まん100個に近かったと記憶しています。正に食べると言うより飲み込むと言った方が適切な食べ方です。先輩も後輩もありません。正に餓鬼のような風景です。   同じ割り勘でもお座敷で”すき焼き”となると”豚まん”よりはお上品です。中国スタイルと日本スタイルで違うのでしょうか。

  運動部は沢山ありそれぞれに部歌があります。到底書き切れませんので、おじいちゃんが所属していた端艇部の部歌を紹介する事にしましょう。

         端艇部 部歌      五十嵐 正冬 作詞  川崎晴通 作曲

      1.   春に萬騨の花がすみ            秋絢爛の唐錦
           あはれ一夜に吹雪して           松の色香も移ひぬ
           ああ廃跡何をか語り            小川のせせらぎ何をか答ふ
      2.   星辰既に四百歳              軸頭白旗翻し
           大明国に雄飛せる             男子が胸の血は如何に
           ああ我等その意気うけて          誓いしたる我が端艇部
      3.   ああ海洋に自由あり            鯨波の寄する何かある
           友よ見ずやかの果てに           思ふ我等が理想郷
           げに我等無冠の王ぞ            我等が前に歓喜は燃ゆる
      4.   海原遙かに漕ぎゆけば           浮かぶ白帆の影寒し
           果洋上に漕ぎ暮れて            共に結ぶ波枕
           嗚呼我等無情の快楽            たぎる血潮君知らざるや
      5.   我も人の子純情の             乙女を慕ふ心あり
           将た秋月を仰ぎては            一人異郷の空に泣く
           さはれ我等覇業を思い           戦ひ近く迫るを如何に
      6.   迷は晴れて霞吹く             嗚呼霊南の春静か
           月見が丘に希望燃え            我等が覇業早や近し
           嗚呼我等戦はん哉             嗚呼我等戦はん哉	     

ノートラ・麻雀


  寮内の遊びと言えば、ノートラと麻雀があります。ノートラはトランプ遊びで4人が二組に分かれて戦うものです。麻雀は中国の本場の遊びで中国の留学生がいるのでプロ並みの腕前です。大抵1年生の机が引っ張り出されて使われます。初めはいやでしたけれどもその内同化されて楽しんでいました

       
          端艇部 部歌

       1.   香りぞ高き花の雲           竜河のほとり波立ちて
            都ぞ今は弥生なる           十六夜月の影清し
       2.   黄砂に曇る老鉄の           緑に薫る蒙古風
            図南の夢に躍る時           思いぞ起す去年の夏
       3.   秋蕭々の嵐風             古戦の跡を漕ぎ行けば
            水面の鴎飛び舞ひて          我等がゆくてをことほぎぬ
       4.   嗚呼我等手に櫂とりて         水面を軽く滑る時
            天際遠く輝くは            其名もゆかし北斗星

      

寮生大会・留学生


  一年に一回、全寮四つのクラスに分かれて演芸大会を行います。おじいちゃんは一年も二年も女形をやらされましたが、三年では中学校の男子先生になりました。芝居の扮装をしたままの記念写真です。寮生大会と称していました。右は中国留学生のコンパといいましょうか、集いです。一学年定員100名の内10名は留学生、それも殆ど中国人でした。勿論日本語は堪能ですが、親交を結ぶまでには至りませんでした。

  学生ストームの時に良く歌ったダイナマイト節を当時を思い出しながら書きます。

           旅順工科大学  ダイナマイト節

1.          月と地球にベルトを掛けて                  起こす電気は宇宙間
            国利民福増進して民力休養せ                 もし成らずばダイナマイトドン     (以下すべて繰り返す)
2.          万里の長城で逆立ちすれば                  支那か蒙古に転げ落つ
3.          山東苦力を百万連れて                    蒙古美人の膝枕
4.          ヒマラヤ山に腰うちかけて                  飲んで尽くせよインド洋
5.          ゴビの砂漠で見合いをすまし                 新婚旅行はチベットで
6.          黄河の濁流にダイナモ据えて                 四百余州をイルミネーション
7.          俺のリーベは世界に二人                   クレオパトラに楊貴姫
8.          夕べ見た見た大きな夢を                   長城まくらに見た夢を
9.          行けや行け行け工科の健児                  支那にや四億の民が待つ
10.         四百四州を布団に敷いて                   南洋枕に寝てみたい
11.         四百四州の同胞の為にや                   どんな苦労も厭ひはせぬ
12.         天下取る身と空飛ぶ鳥は                   何処の野山で果つるやら
13.         酒はのめのめボイラーで沸かせ                御神酒上らぬ神はない
14.         どうせやるならでかい事なされ                支那を質において酒を飲め
15.         立てばチムニー座ればボイラー                歩む姿がロコモチブ


  独り”旅順”と呟いてみる。4月札幌と緯度を同じくする、旅順を埋め尽くす様な桜満開の予科入学・そろそろ慣れてきた初夏、アカシアの木に恋文を一晩吊してロマンティックな香りを内地に贈る時期・海にボートに青春を滾らせる夏・秋冷に勉学にいそしむ秋・雪で真っ白なクリスマスの教会の灯火・冬休み皆帰郷して空っぽの部屋で独り窓外の雪景色を眺めていた正月。思い出せばきりがない我が青春、ペチカを囲んで酒を酌み交わした友・友・友。今の世知辛い世間とは無縁であった古き良き時代は思い出すだけで一服の清涼剤です。

  長い戦乱の荒廃に重ねて地震の被害、一難去って又一難のアフガニスタン、日本の国会は徒に内輪もめしている時ではないのではありませんか。世界は日本は今なにをなすべきでしょうか。デカルト的な人もパスカル的な人も共に地球的視野から考えて見ようではありませんか。                                                                                          

(2002.3.記)