スキーマ schema

スキーマ

「速読なんて簡単さ、速読法の本を10冊は読んだからね、速読法の本なら一冊30分で読めるよ。」

本を読む機会の多い者が身に着けたい技術の筆頭は「速読術」と「記憶術」だろう。筆者も例にもれずそのようなタイトルの着いた本にはつい手が伸びてしまう。お陰で速読法や記憶術の本なら斜め読みできるくらい早くなっている。だが、最近面白いことに気がついた、これらの方法は結局、認知心理学で言うスキーマを利用しているのではないかということである。

スキーマ(schema)とは人の過去の経験から生まれた知識のまとまりのことで、人は外界からの情報を処理するためにこれを使って予測対応しようとするのである。たとえば、レストランに行って食事をするときも、「レストランで食事」スキーマがなければ料理の注文もできない。さらに、このような手順的なものでなく、もっと基本的な、物の形を認識したり、物の名前を覚えたりと言う、要素的な認知機能にもスキーマは使われているのである。どうも速読法や記憶法はこれをうまく利用しているようなのである。

例えば漢字を覚えるのにその全部でなく中心の一部分の字画に丸印をつけるという方法がある。不思議に全部を覚えようとするよりはるかに楽に漢字が覚えられるのである。また、マンダラートやマインドマップといった図解の方法はかならず中心部から図解を始めるこれも不思議に記憶に残りやすいのである。これは、もしかしたら人間の図形の認識について「中心と周辺スキーマ」のようなものがあって、中心部に注意を集中したら周辺部が自動的に認識されるしくみになっているのではないだろうかと思ったりする。これらの方法は無意識のそのようなスキーマを利用するために記憶に残りやすいのではないだろうか。

速読法もそうである。良く知っていることがらについては、逐語的に読んで行くよりぼんやりと紙面を眺めているときの方がキーワードなどが目に飛びこんできやすく分かりやすいと感じる。これは、書いてある知識のスキーマが既にできているためで、全文を読まなくてもキーワードをつなぎ合わせれば内容が理解できるためである。

したがって、学習を楽にするためには最大限にこのスキーマを利用した方が良さそうなのである。

スキーマの特徴

スキーマを有効活用するためには、個々の書籍に解説された方法の中から自分にあったものを見つけて行かなければならないが、しかし、スキーマには共通するいくつかの特徴があるようなのである。

第一の特徴はスキーマの意味性である。意味のある内容は良く覚えられるというのはよく経験することであるが、この意味と言うものが何であるかをはっきりと説明するのは難しい。じつは意味と言うのはスキーマなのではないだろうか。テレビのスイッチをひねると画面があらわれるというスキーマは、テレビを操作するという意味を表しているのである。したがって、意味は言語にならない情報なのである。そのため、意味を言葉で説明するのが難しいのである。

非言語的な情報の代表はスポーツである。本を読んでもスポーツは上達しない、非言語的な練習をしないと身につかないのである。スキーマも同じではないだろうか。どんなに速読法の本を読んでも上達しないのはスポーツと同じ性質の練習が要求されるからではないかと思う。スキーマを身につけるには、読書よりもスポーツに近い非言語的な訓練が必要なのである。記憶にしても、苦手な人は文字情報で暗記しようとしているためではないだろうか、むしろ文字情報を非言語的に覚えるという逆の努力をしなくてはならないような気がする。スキーマの意味性は非言語的に発揮されるからである。

第二の特徴は新奇性である。同じものをじっと見ていると意味が分からなくなることがある。人間の脳が変化のないものからの情報を抑制する傾向があるからである。人間の脳は変化のあるものや新しいものを知覚しやすいのである。逆に変化のないもの、単調な情報は抑制されやすい。英語の同じ単語を何十回と書いても記憶に残らないのはそのためである。

第三の特徴は干渉である。似たものが並んでいるときお互いの特徴が干渉しあって混乱が起きるため認識しにくい場合がある。この干渉を引き起こさないように工夫することで対象を記憶しやすくするのである。

第四の特徴はスキーマの抽象性である。ひとつのスキーマは色々な場面で再利用される。汎用性のあるスキーマを持っているといろいろな場合に応用が効く。しかし、数学でも分かるように抽象的なスキーマを獲得するのは大変なのである。では、どうすれば抽象的なスキーマを獲得することができるようになるのだろうか。それは多分、多くの経験を積むということに尽きるだろう。多くの経験を積んでいるうちに自然にそれらに共通するスキーマが成長して行くのである。経験が豊富な程、それらを包括するスキーマの抽象性が上がってくる。

このようなスキーマの特徴に注意していれば、様々な速読法や記憶法がなぜ有効なのかまたどういうことに気をつければその有効性を発揮させることが出来るのかが分かって来る。

スキーマ読書法

そこで、ここで、スキーマの応用として読書法について考えてみよう。スキーマというのは平たく言えば、「全然知らないことは認識できない。」ということである。先ほどのレストランの例で言えば、レストランに一度も行ったことがなく、案内してくれる人もいなければ注文することすらできないのである。読書でもそうで、ページをざっと眺めて知っていることがひとつもなければ、その本は諦めた方が良い。たとえ速読したとしても何も残らないだろう。

スキーマを利用した読書法とは、要するに知っていることをフルに活用しようということである。ページをざっと見渡してキーワードと思われる単語に出会ったら、注意をそれに向ける。速読法の本にあるような視野を広げる努力は必要ない。視野の大きさにはこだわらず、キーワードに気持ちを集中する。そうして、そのキーワードを眺めながら質問や疑問が自分の中から涌き上がって来るのを待つのである。疑問が涌いてきたらその答になるような個所を探して拾い読みする。要するに読むのではなく疑問を解決することを優先するのである。

この方法で最も大事なのは意識に上らせる情報を制限するということである。そのことによって似た情報が干渉するのを防ぐことができる。段落より文、文よりキーワードに気持ちを集中した方が良い。そうして余分な情報を制限することで浮かびあがらせたキーワードについて、脳の中の連想が働き始めるのを待つのである。つまり、キーワードが自分が持っている意味の体系のなかに組み込まれるのに時間を与えるのである。その際、キーワードには動詞を選ぶと良いようだ。自然に「誰が」とか「何を」など主語や目的語を求める疑問が涌き上がって来るからである。始めは速読にはならないかも知れない。しかし、読解力はかなり上がり、またそれが楽にできるのを感じることが出来る。また、この操作に慣れて来れば読書スピードも自然に上がっているはずである。

本の見出しを読むときも同様の方法を使うことができる。読書法の本には必ず見出しを先に読むことの重要性が書いてある。しかしながら、実際に見出しを読むとバラバラな単語の羅列で混乱してしまうことが多い。それは、まだ、作者の思考の流れが理解できる前だからである。この際も見出しのなかで知っている単語に注意を集中すると良い。見出しの間の論理的な関係を無理に推測しようとするのではなく見出しの中の気になるキーワードについて色々な連想が「自然に」涌き上がって来るのを感じるのである。

どうも、脳は一度に沢山の事を考えると非常に疲れるようなのである。寧ろ、慣れ親しんだ連想のネットワークの中に新しい知識を少しずつ取り込んで行くように読書を進めて行くと、リラックスして意外に疲れを感じないものである。

スキーマ読書法とは意識の範囲を狭めることで、知っている事の知識ネットワークを活性化させ、知らないことを疲れないで吸収するための方法なのである。

汎用的なスキーマ

速読法の本を読むときのスキーマと評論を読むときのスキーマはかなり異なっているだろう。しかし、様々なジャンルの本を読むときに共通するスキーマもある。そのような汎用のスキーマを知っていると便利である。

1. 中心文のスキーマ

良く書かれた本は一言でその内容を表すことが出来る。例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は「営利の追及を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだと言う歴史の逆説を究明した画期的な論考。」というひとつの文で要約することができる。

かなりの量の文書情報を一言で要約することで、その情報の海を航海するための入口を作ることができる。その本の全ての情報はこの中心文から探索して行くことができるのである。この中心文を早く見つけれは早く見つける程、読書の効率は上がってくる。

中心文は、本全体だけでなく、各章、各節、各段落についても探さなければならない。それは各々の文章の塊に何が書かれているのかを教えてくれ、その中心文から触発された疑問の答が何処にあるかを示す道しるべにもなるからである。

2. 分割のスキーマ

象を食べるためには、これを分割する必要がある。長い文章を意味のまとまりのある部分に分割し、その部分の中心文を発見すると、とたんに分かりやすくなるものである。本の場合も見出しの後に多数の段落が続く場合、意味のまとまりのある数個の段落の文頭を鉛筆を使って括弧でまとめると、途端に内容が分かりやすくなる。

分割のスキーマと、中心文のスキーマを使うだけで随分読書が楽になるものである。

3. 論理のスキーマ

一般の文書で「論理」という時はほとんどの場合が含意の事を言っているのである。「A ならば B である」という含意は、積木を積み上げることに例えることが出来る。上の積木は下の積木が取り去られると崩れてしまうのである。

文章の場合も前の段落がないと後の段落の主張の根拠がなくなる場合それは論理的な含意の関係にあるのである。頭の中でひとつの段落を取り去ったときにそれが全体の文章にどう影響してくるかを考えるとよい。その段落が取り去られたときに、文章全体の構造に影響が出てきて積木を崩すように構成が変ってしまうなら、その段落は文章全体の論理的骨組の一部なのである。例示のように文章を分かりやすくするための副次的な物は取り去っても文章全体の構造に影響することはない。

スキーマを意識した読書法の意義

上で述べたような「疑問の喚起」、「中心文の発見」、「意味のあるまとまりに分割すること」、「論理的な骨組をみつけること」というスキーマを利用した読書法は、何もここで述べなくても昔からいろんな書物で強調されてきていることである。

しかし、このような方法をスキーマという観点から見直してみるとそれらの方法がどうして大切なのかが分かってくる。それらの方法はすべて、スキーマを適用させやすいように文書情報を前処理する方法だったのである。

こう考えて来ると、マークシートの点数を上げるためだけの教育がいかに非生産的で非効率的かと言う事が分かる。マークシートを選ぶだけのスキーマでは実社会の多様な現象に対応できないのである。また、上で述べたようにスキーマは言語情報よりは、むしろ非言語的な情報を使って形成されるものなのである。教科書を暗記するだけの教育より、非言語的なトレーニングによるスキーマを育成する教育が必要なのではないだろうか。また教育だけでなく、自分自身の学習方法についてもスキーマを意識して進めて行く必要があると思う。

(2005.02.26)