牧水も見たであろう この尾鈴山

  故郷のお鈴の山の悲しさよ秋も霞のたなびきており

  牧水のこの歌は、都農の我が家の西の畑からこの山を見て歌ったものだと、牧水の姉「スエ」婆さんから聞いている
  牧水は、明治45年7月「チチキトク」の電報を受け帰省した、親族会議で宮崎に帰り家を継ぐよう求められた
 職を求めて美々津・宮崎あたりを歩いた、途中都農にも泊まった、姉のスエ・義兄の佐太郎(東京遊学の学費を負担していた)からも宮崎に戻るようと説得されたであろう。そのとき、西の畑から尾鈴山を望んで歌ったものだと、スエ婆さんから聞いている 
 尾鈴山の向こうの坪谷には病んだ父親がいる、周囲は歌の道を捨てて宮崎に戻れという、だが歌は捨てられない、その葛藤が悲しいまでに秘められた歌だと思われる
  一般には、坪谷の生家の裏山から尾鈴山を見て歌ったものだと云われているが、都農から望んだ尾鈴山には更なる悲しみ・想いが秘められているのではなかろうか、「スエ婆さんの説」の方が正しいはずなのだが。(坪谷の生家の裏山、登ってみたが尾鈴山は判別できなかった)
  佐太郎祖父・スエ祖母を知る母も03年10月22日に父の後を追った、牧水の記憶は薄らいでいく、時代の流れとはいえ寂しいものだ

 
町内各地から見る尾鈴山それぞれの姿を持っているのだが、写真に撮ってみると山の前の電柱・電線などの雑物が目障りになる
 我が家の西に畑からは前の櫨の木々がそれを隠しいてくれる、山の全容は見えないが私はここからの、牧水も眺めたであろう尾鈴山の姿が好きだ
(このページを開いてから10年余になる、木木が大きく育ち尾鈴山の姿を遮るようになった)



 3月は雨が少なかった、降ったのは2日ほど雨量も少なかった、畑はからから田植え準備も水のやり繰りをしながら進めている。
 気温も低い日続き緑も例年より遅れている、去年はすでに枝豆・玉蜀黍などを蒔いていたのだが。
 口蹄疫騒動が終息しこれからと言うときの鳥インフルエンザ(都農尾鈴マラソンは中止になった)この騒ぎの最中に新燃岳の噴火、そして大地震・大津波
 何が起こるか分からない世の中だが、尾鈴山は緑に囲まれて静まっている
(2011/4/5)

 季 節 を 訪 ね て 
 都農神社境内に鯉のぼりが泳ぎました
 稔りの元となる花、今年の豊年を祈願して献花祭りが行われました  

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牧神社のツツジを追加しました(4月19日)
花が咲いた  冬の花が咲きました
素人百姓  秋の暑さで遅れていた冬野菜が生育しました


 このページは97年7月15日に誕生しました  

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