| 初心者は、気学の知識を購入して読むと良いですね! 神宮館発行、平木場泰義、気学の知識、¥3000円 書店に注文しますと送ってきます。 19年前に、この本を¥2600円で購入しました。自分の 性格がズバリ書いてありました。あの時のびっくりした 事は、今でも覚えています。人生において、神様、仏様 はもちろん、占いなんて、全然信用しない私が、たった 一冊の本から運命学にはまりました。 |
| ●運命と心のあり方『袁了凡という男の話』 いまから、約400年前の中国、民の時代に、袁了凡という男の人がいました。この人が、 運命の改善に志して成功し、その体験談を『陰隲録』と題する書物に書き残しております。 これが後世に大きな影響をあたえているのです。 陰隲という言葉、は、「書経」にある言葉からとったもので、われわれが陰徳(善行)をおこ なえば、天は必ず悪の報いをあたえられるということで、中国特有の敬天思想で、仏教の因 果応報にあたります。この陰隲思想は、東洋人の人生観の根底をなすものと言えましょう。 中でも袁了凡の『陰隲録』は、その代表的なものです。 そこで、この『陰隲録』の中で彼がどのように行動し、運命を改善していったかを述べてみる ことにしましょう。 袁了凡という人は、江南の豪族の出で、はじめ官吏(役人)になろうと勉強しておりました。 そんなある時、慈雲寺というお寺を訪ねた際に、孔と名のる老人に出会ったのです。この老 人は、邵康節の秘伝を受けているという易の非常な達人だったのです。邵康節という人は宋 代の儒者で運命学に精通し「梅香心易」創始者と伝えられています。 この孔老人が彼の一生を占ってくれます。 「ある年には試験に第何番目で合格し、ある年には官から俸給を受けることになるであろう。 ある年には貢生となるであろう。貢生となってから某年に四川省の長官に選ばれるであろう。 そして在任2年半で休暇をもらって帰郷することになるであろう。こうして53歳の8月14日丑の 刻に表座敷において一生を終わるのである」と。 ところがその占いの予告がすべて的中し、その通りになっていったので、彼はすっかり運命 論者となり、進んで仕え、退いて野に下るにしても一定の運命があり、出世の遅いのも速いの も定まった時機があるということを信ずるようになり,心中淡々として運命に任せる事とし、他に 何も求めないようになってしまったのです。 それから長い歳月が流れます。そして役人になった彼は、北京にいきます。その時、雲谷禅師 という僧侶と出会うことになります。 「わしは、お前さんを期待すべきすぐれた人物あると思ったが、なんとただの凡人であったか、 一生涯の栄辱も死生もみな運命が定まっていると考え、全く努力しないではないか」と。 そこで、彼は禅師に質問します。 「それならば、運命というのは逃れることができるものですか」というと、禅師は、 「運命は、自分からつくり、幸福は自分から求めるものである。六祖大師もこのようにいっておられ る。『すべての幸福の生ずる畑は心の中にある』と。心の中に従って求めたならば、ただ道徳仁義 を得るばかりでなく、功名福貴もまた得られ、内(本来そなわっている道徳仁義)外(自分以外にあ る功名福貴)とも得られるのである。もしも、わが身に反省しないで外面(外にある功名福貴)にの み向かって求めたならば、うまくいかずに、内外とも失ってしまう。それゆえ、身にはなんの益もない ことになる」と、答えるのでした。 彼は、この禅師の言葉をまことの真理であると感じ、慎んで教え を受けることになります。そして、禅師三千条(善いことを行い、多くの陰徳を積む三千の条項)の実 行に踏み出すのでした。 こうして、彼の新しい人生がはじまったのです。昨日までは、こうなると、一挙一動、一言一句なお ざりにできず、人の見ていないときでも、自然と行動を慎むようになり、そのかわり、対象が常に天地 であって、人でないから、他人がいくら自分のことを憎んだり、そしったりしても、心を動かさず、平然と 受け入られるようになったのです。 三千条の善行積むことは、まことに苦しいことですが、彼は精を出して実行していきます。そして、とう とうこれを、完了する簸がきます。 その時、彼は孔老人の予言する53歳をはるかに過ぎ、予言された運命をすっかり変えてしまったのです 。そして、偉人袁了凡という名声は中国本土に知れ渡ったのです。 日本易学協会:現代四柱推命学講座より |
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